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Home>> MINDAN 文化賞 2007年度受賞作品集
 

『優秀賞』

共時態及び通時態から考察する在日アイデンティティ論
(朴浩烈/男/一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程/群馬県)

要旨:21世紀の今日、アイデンティティは幅広く捉えられる傾向があり、社会学、哲学、心理学などの研究分野において様々な角度から考察が行われていると考えられる。つまりアイデンティティを定義することの難しさが横たわっているといえよう。

 しかし自分は誰なのか、自分を形作っているものは何か、他人との違いからの自己(自意識・自我)、つまり自己証明もアイデンティティであるならば、有形無形の「役割」を果たすものとも考えられる。

本論文は在日におけるアイデンティティを様々な角度(主に通時態と共時態、ポストコロニアルとグローバル化、変化と多様性)から分析すると共に、在日コリアンにおける最大公約数的なアイデンティティはあるのだろうか、構築できるのだろうか、という問いを貫きながらも、私見として、現状分析などから今までとは違った方向による「役割」としての在日アイデンティティ抽出を試みてみた。

字数の制限上、短い文脈の中からではあるが、複雑な環境にある在日に夢と希望を与えつつも、コンプレックスとしての自我ではなく、主張する自我を読み取っていただければ幸いである。

1.序論

一般的に在日コリアン(国籍を問わず総称としての呼称)とは、植民地時代および済州道4・3蜂起など、朝鮮半島混乱期に渡日した人とその子孫であるが、これらの人たちのアイデンティティを一つの枠組みで捉えることはもはや困難ではないだろうか。

本稿では内的要因と外的要因など、在日を取り巻く様々な問題などを勘案しながらもポストコロニアル 、レイシズム などを下敷きに、グローバルな観点から在日アイデンティティを考えてみることが目的である。

題目にある「共時態(本稿では1945年から今日までの状態とする)」とは時間を横軸として捉え、ある一定の時期における状態として、「通時態(本稿では古代から近代以前までとする)」とは時間を縦軸として捉え歴史的に考察することとしたい。このようなものの見方考え方は、言語学者ソシュールの共時言語学・通時言語学の学説からヒントを得て運用を応用しながら、在日によるアイデンティティを分析するとともに、新たな可能性としてのアイデンティティについて、文化を中心にすえて模索(提案)することが本論文の目的である。

2.共時態からの可能性としての「文化創造型在日アイデンティティ」

我々が往々にアイデンティティを考えようとする場合、どうしても近代が作り出した強力な意識である国民国家という枠を基準に捉えがちである。たとえば出身地は? 国籍は? 帰属志向としての祖国は? ことばは日本語なのか韓国朝鮮語なのか? 冠婚葬祭は民族式か日本式か、名前は? 血筋は? 食べ物の趣向は? 思想信条は? などなど…

このような方向において1945年以降の在日のアイデンティティを問うことを筆者は「二項対立型在日アイデンティティ」と分析している。

しかしこのような問いは近代史と東アジアにおける冷戦構造という外的要因とともに、在日自信による選択という内的要因が複雑に絡み合った結果、産出されてきたといえよう。

祖国光複の時点において約230万人ほど存在したといわれる在日、故郷に家族親族が多く存在し、いつかは帰国しようという考えがありながらも冷戦という時代とともに歩まなければならなかった在日1世の時代には、このような問いが出自国および旧宗主国における国民国家の価値観により正当化され今日に至っているとも分析可能ではないだろうか。これ自体今日否定することはできない。

しかし今後、このような問いがいつまで可能なのであろうか?

資料 によると、日本植民地政策の結果、旧宗主国において居住するようになった在日とその子孫である在日コリアン(韓国・朝鮮籍)は2003年末現在約48万人と推計されている。この数を考えると在日コリアンは年々減少していることになる が、日本国籍取得者および日本人との間に生まれた人などを合計すると100万人以上という在日コリアン・マイノリティが存在するということ、さらに現在進行形として年間約1万の帰化者、約90%の国際結婚(主に日本人と)を念頭におくと、在日のアイデンティティを従来型の「二項対立型在日アイデンティティ」だけによって枠に収めようとすること事態が難しいのではないだろうか。

 若い世代の在日(ここでは3,4世をおもに念頭におく)の中には環境(親、教育、民族との接触頻度)により祖国志向、在日共同体志向、帰化などによる日本市民志向など、様々なアイデンティティが存在するし、これらはいくつかの著書 によって分析もなされている。また卓越した分析力による「切れて繋がる」存在 、「境界人」 、「半難民」 などという見方も存在する。

 このようなことなどを俯瞰するとき3・4世代に代表される在日の多くが二項対立型在日アイデンティティの問いの前に先ず、在日として日本での安定生活と自己実現を志向するようになったのではないかと筆者は分析している。

もちろんこのような傾向は日本における格差社会・グローバル化の到来、核家族化・少子高齢化、そして韓流ブームなどとともに、「三国人」発言に見られるような社会的に根深い民族的差別と向き合いながら、日常に矛盾としての「哲学」が自然にもたらされ、国民国家が要求する紋切り型アイデンティティの衰弱と多様なアイデンティティが誕生していると考えられる。このようなアイデンティティを総称として「個人所有型在日アイデンティティ」として肯定的に考えてみたいが、グローバル化の促進とともに、今後様々な在日アイデンティティを研究する過程において一つの概念として考えることを提唱したい。

国籍、血筋、言語、文化、職業、階層、所属コミュニティ、歴史観、性別、世代などが様々な在日は、アイデンティティも自己がおかれた状況や立場などによって違いが生じ、必要によって(自己顕示)選択、多層として現れる可能性もある。つまりアイデンティティを複数的な変数として(たとえば民族的アイデンティティ、文化的アイデンティティ、言語的アイデンティティなど)捉えなければならないと考えられるが、それらを典型ではないが、在日を構成する一つのものとして考えようとするのが、個人所有型在日アイデンティティである。

ここでは個人所有型在日アイデンティティをいかに「文化創造型在日アイデンティティ」として構築するかということに着目してみたい。

たとえば盛岡冷麺は在日一世が生活のため考案したが、朝鮮半島にルーツを持つ文化としてだけでなく、21世紀の現在、日本の地域文化の名物になって受け継がれている。

結婚式で在日が多く利用している華やかなチマチョゴリは、在日が西洋のウエディングドレスと民族の古典衣装を融合させて作り上げたと聞いている。それと共に成人式などフォーマルな場所で着るドレス型チマチョゴリなども本国へも伝播されたとのことである。

このような「伝播」を考える時、今日のような華やかな焼肉文化なども、ルーツはコリア民族の食文化ではあるが、それらに独創的な改良を加え、新たに創造された立派な在日文化といえるであろう。

個人と一つの文化現象だけでなく、戦後の在日の生活過程を点(共時的)として考えるならば、芸能、スポーツ、ビジネス、文学、学術など、あらゆる分野における日本でのめざましい痕跡も枚挙にいとまが無い。

また民族との紐帯を重んじ、民族の発展及び日本との友好促進、そして在日社会発展に寄与した在日もたくさん存在する。

このように考えるのであれば、キーワードは多様性である。

在日における多様性とは言語、血、地域、文化、経済の共通項を重んじるだけの帰属意識ではなく、ルーツ意識(自己存在の証としての歴史認識)に裏打ちされた様々な在日アイデンティティではないだろうか。マルクスによる民族概念、猛威を振るう偏狭なナショナリズムによる規範・正統性を排し、多様性を見出したところに、在日のアイデンティティが見えてくるのである。

混成(言語 、血、文化、歴史)を否定することは即ち、今後の在日を否定することにもなりえよう。現に我々の衣食住どれをとってみても一つの文化に収まっているものはないし、国民国家においてもグローバル化は世界的な規模での人、物、資金、情報の移動を促進し、多様性をどんどん吸収しながら変化とともに進んでいくであろう。ここでの多様性には価値観、理念などとともにもちろんアイデンティティも含まれるであろう。

今後、個人所有型在日アイデンティティを数多く探し出し、それらをあらゆる分野における文化創造型在日アイデンティティへと再構成することが求められ、さらにその積み重ねによって「縮小」する在日社会の永続的存続をもたらしえるのではないだろうか。

これも同化とは相反する姿であり、グローバルな観点から考える時、立派な民族的アイデンティティの範疇(一変種)に属するものであるといえよう。

3.通時態からの問いかけとしての「在日クレオール文化志向アイデンティティ」

 世代交代が進むほど、祖国あるいは歴史に対してリアリズムが薄くなり、ノスタルジーが顕著になる可能性がある。

 紙・映像などを問わず、在日系マスメディアは古代からの日本と朝鮮半島における交流を様々な形で取り上げている 。また金達寿の著書 に代表されるように、日本の中にある朝鮮文化などに対しての在日の親近感は否定できない。

筆者もそうだが周りにいる在日の中には、奈良飛鳥、高麗神社、耳塚、対潮楼(広島県) 、東洋陶磁美術館など歴史が染み込んだノンフィクションを訪ねる、あるいは小説「佐橋甚五郎」(森鴎外)、「高麗陶工の末裔」(岩田玲文)、「倭王の末裔」(豊田有恒)、「故郷忘じがたく候」(司馬遼太郎)など、朝鮮半島とのかかわりのある多くのフィクションなどを耽読する人たちもたくさん存在する。

最近在日の知人が、何気なく訪れた場所において、朝鮮半島ゆかりのものを「発見」したこと、また渡来系の遺跡が多く出土するため宅地調整区域になっている場所があることなどを筆者に熱く語っていたが、このような現象はなぜ起こるのだろうか。

様々な要因が考えられるが、まず日本と朝鮮半島の平和と友好に対する希望、それらが在日に対する理解へと深まることへの願い、そして自分の祖先を鏡として映そうとする自画像への、ぼやっとした願望ではないかと分析している。

植民地時代から存在する在日(共時的存在)と、いにしえの「コリア」は時空間では繋がりはないが、ここに通時的視点がもたらされるのである。

通時的視野は歴史的事実へと向かわざるをえない。その結果、たとえば今年は第1回朝鮮通信使が訪日して400年の年にあたるが、その目的に数万とも言われる被虜人送還問題があったということ、そして新井白石、中山竹山、佐藤信淵へと続き、朝鮮蔑視と征韓思想の系譜までも読み取ることができる。

また秀吉による朝鮮侵略の結果、沈寿官による薩摩焼、李参平による有田焼など、日本の陶磁器文化が花咲いたが、これらは一種のクレオール文化と筆者は解釈している。

クレオールを大雑把に捉えるならば、中世ヨーロッパによる植民地の結果、植民地で生まれはしたがヨーロッパ的でありながらも土着化し、オリジナルな体系を有する人、ことば、文化、産物などと言い表すことが出来るが、日本には日本に存在(誕生)しながらもコリアっぽい文物が、歴史的にたくさんあると考えられる。

今日の在日がこれらに郷愁じみたものを感じ、共存による未来への展望を描くことは、在日特有のアイデンティティの所産であろう。少なからずの在日が、民族性の希薄化を憂慮し、「消滅」に危機意識を募らせているが、個人所有型アイデンティティをもとにして文化創造型在日アイデンティティを構築し、「在日クレオール文化」として根づかしてゆくという心のモチベーションもあってもよいのではないだろうか。そのようなアイデンティティを「在日クレオール文化志向アイデンティティ」としたい。

そうなれば二項対立からの排除を無くすことが出来るばかりか、個人所有型在日アイデンティティを複合・複数アイデンティティへと誘うことも出来ると考えられる。

複合・複数アイデンティティは日本における多文化共生社会を目指すうえで重要なキーワードであると考えられる。他者との違いを認め合い、違いはなぜ、どのような経緯(時間)がもたらしたのか、などを自他共に確認できるのが複合・複数アイデンティティであるが、問題はコンプレックスに苛まれるのではなく、堂々と自己主張できる環境がもたらされるかどうかということである。

在日の中には、日常生活において自分の名前を使わない人もいる。例えばクリーニング屋で、金、卞、朴などを使うのにわずらわしさと消極性が伴うことがあるが、「自らが欲しないことを「選択」せざるをえない状態は、避けられるべき不自由な状態にほかならない 」とも分析できる反面、複合的状況における選択とも見ることが出来よう。

今日、在日を取り巻く好ましくない環境とは、歴史修正主義、脱亜的オリエンタリズム、純粋主義および国家主義的ナショナリズム、嫌韓流 などであると考えられるが、これらに共通する排外主義及び差別意識を克服しようということ、クレオールも複合・複数アイデンティティも決して二流ではなく、オリジナルな体系を持ったものであり、国民国家的価値観とは違うだけでなく、世界的に見ても新たな問いであり、今後グローバル化と共に促進されうるという観点を持つことが大切ではないだろうか。

我々が過去のコリア系文化歴史に郷愁を抱くように、今日の在日の痕跡を未来の在日(来日要因は様々であることが予見される)がたどるとなれば、どんなに素晴らしいだろうか、何を読み取るであろうか。

申采浩(1880~1936、史学者、言論人)の「大我と小我 」を参考に論点を少しずらして応用するとなれば、時代時代(共時態)の在日(小我)は通時態としての在日(大我)を形成しうるのではないかという、一種、在日ロマン主義的な観点での、日本における在日クレオール文化を創造しようという、共通項としてのアイデンティティもあってよいのではないだろうか。

4.結論:新たな始まりとしての在日アイデンティティへの模索

日本における大きなマイノリティ集団である在日コリアンは、基本的に日本において永住することになるが、その過程を推察しながら現状を鑑みるとき、日本と朝鮮半島、権利と義務などと向き合いながら生活することになろう。夢と希望の実現のための法的、社会的な制限・差別など、あらゆる障壁を乗り越えなければならないが、それらを認識し克服しようという意思も在日アイデンティティ(共生)になると考えられる。

 このような認識・意思はマイノリティの共通項でもあり、グローバル化およびポストコロニアリズムからの問いかけでもある。

 つまり在日を生きるということは、在日問題だけに限定されるものではないという視点 をもって、息を潜めるのではなく、堂々と主張することが大切であると考えられる。

 主張することによって、多様な在日アイデンティティが構築されるという側面も否定できないのではないだろうか(言説という観点から)。

イ・ヨンスク によると、ポストコロニアル文学は故郷喪失、アイデンティティの欠如でもなく、自己の実存を生成する場所であり、在日を生きるということは、本国志向、日本志向でもない、新たなアイデンティティが模索されていることだという。

本論文が私見ではあるが、そのような模索としての一考察となれば幸いである。


1 本橋哲也(2007)『ポストコロニアリズム』岩波新書、小森陽一(2004)『ポストコロニアル』岩波書店など。
2 小森陽一(2006)『レイシズム』岩波書店。
3 岡本雅享監修・編著(2005)『日本の民族差別』72~78頁、明石書店。
4 韓国から新たに来日し、新たな「在日」となっている人たちは増加傾向にあると考えられる(いわゆるニューカマー)。
5 原尻英樹(2006)『「在日」としてのコリアン』講談社現代新書、福岡安則(1993)『在日韓国・朝鮮人−若い世代のアイデンティティ』中公新書。
6 金時鐘(2001)『「在日」のはざまで』平凡社ライブラリー。
7 尹健次(2001)『「在日を」考える』209頁、平凡社。
8 徐京植(2003)『半難民の位置から−戦後責任論争と在日朝鮮人』影書房。
9 朴浩烈(2007)「在日朝鮮語の研究−言語分析・社会言語学的考察への試み」『韓国語学年報第3号』93~124頁、神田外語大学韓国語学会編。朴浩烈(2007)「在日による朝鮮語の社会言語学的研究」韓国成均館大学校 東アジア学術院『第2回コロキュアム 言語媒体と近代の再照明』。*
10 民団新聞2007年7月25日付3面「知ってましたか?こんなルーツ」など。
11 金達寿による『日本の中の朝鮮文化』1~5講談社文庫、『古代日本と朝鮮』講談社学術文庫など。
12 朝鮮通信使が何度も訪れ「日東第一形勝」の木額などで有名な場所。
13 齋藤純一(2006)『自由』11頁、岩波書店。
14 朴一[編・著](2006)『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』コモンズ。
15 『丹齋申采浩全集』(1972)下巻、360~364頁、乙酉文化社(ソウル)。*
16 例えば教育に関する問題、就職差別問題など。
17 イ・ヨンスク(2005)「ディアスポラと国文学」『東アジア民族主義の障壁を越えて』243~260頁、成均館大学校出版部。*

*はハングル文献。

 
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