掲載日 : [2019-01-30] 照会数 : 6754
苦難の生活史を本に…在日1世ハルモニ識学学級で学び
[ 日本評論社から出版された『わたしもじだいのいちぶです』 ]
日本評論社から出版
【神奈川】川崎市ふれあい館(川崎区桜本)に開設された識字学級に通い、必死に文字の読み書きを覚えたハルモニたちのつづった生活史が1冊の本になった。タイトルは『わたしもじだいのいちぶです』(同刊行委員会企画)。出版費用はクラウドファンディングで呼びかけ、目標(140万円)を大きく上回る184万555円を集めた。
タイトルは識字学級を見学に来た首都大学東京の学生が書いた感想文を呼んだ徐類順さんの作文からとった。徐さんは時代にもてあそばれ、思い通りの人生を歩めなかったという悔いを持つ。聞けば同世代と思われる見学者の父親も事情があって高校進学をあきらめたのだという。「わたしも」には見学者の父親に寄せる共感が込められている。
文叙和さんは小学生時代を過ごした「とんぐるとんね」(糞窟村=同胞集住地だった下関市旧大坪地区)を65年ぶりに訪れたときのことをつづった。かつて通った小学校は鉄筋に替わり、昔の面影は校門前の緩い坂道だけ。だが、帰国してから6・25韓国戦争に遭遇するなどその後の人生があまりに過酷だっただけに、家族仲睦まじく過ごした日々は大切な思い出なのだ。
金文善さんは解放後、静岡県の沼津市で生活のために「どぶろく」を密造し、再三にわたって当局の摘発を受けた。作文には「あのときのことはもういいです」と語りたがらないが、娘とともに留置場に2泊したり、和歌山にある女子刑務所に数カ月入っていたことが後でわかった。
この本に登場するハルモニたちは多くが80代後半から90歳を超える年齢に達している。老いとどう向き合うかは共通の関心ごと。なかには日本人と結婚したという理由で亡くなっても韓国のお墓には入れられないと家族親せきから言われているハルモニもいる。
李榮子さんもその一人。そんな榮子さんのため息子たちが韓国に2人分の納骨堂をつくってくれたという。「今は日本人の旦那の事も尊敬してくれるやさしい子になりました」(「無題」)と万感の思いをつづった。
「つらかったけど、わが人生」。家族を支えながら一生懸命、ときにはしたたかに生きぬいてきた体験にはあふれるようなパワーがみなぎっている。問い合わせは日本評論社(03・3987・8621)。
(2019.01.30 民団新聞)