掲載日 : [2019-04-03] 照会数 : 6276
「第7次 ソウル―東京 友情ウオーク」がスタート
[ ノボリ旗を掲げて景福宮を元気にスタート(右上は世宗大王像) ] [ 朝鮮通信使の衣装に身を包んだ韓国ウオーカーが正使、副使、従事官に扮して先導 ]
「21世紀の朝鮮通信使ソウルー東京 友情ウオーク(主催=日本ウオーキング協会・韓国体育振興会・朝鮮通信使縁地連絡協議会。民団中央本部など後援)」が4月1日朝、ソウル・景福宮から東京(5月23日ゴール)に向けてスタートした。
ソウルから東京までの道のりは約2000㌔。ソウルー釜山・大阪―東京はウオーク(1、158㌔)、釜山―対馬・壱岐―博多は高速船で移動、博多―大阪は貸切バスでゆかりの地を訪れる。
2007年から行われているこのウオークは2年毎に行われ、今年で7回を数える。今回は日韓両国で申請していた朝鮮通信使の歴史資料がユネスコの「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録されてから初めてのウオーク。日本人、韓国人、在日の韓国人が手を携えてソウルから東京まで毎日平均30㌔の道を歩き、お互いに交流し絆を深める「草の根交流」はいつの年にもまして意義深いことで、沿道での関心もいつになく高まるものと期待されている。
出発式では韓国体育振興会の姜実行委員長が「厳しい両国の関係が続く中、ユネスコの「世界の記憶」に朝鮮通信使が登録され新たな1ページが歴史に刻まれました。この友情ウオークを続け、日韓両国がもっと仲良くなるように共に歩きましょう」とあいさつ。また遠藤靖夫・日本隊長は「8年前の東日本大震災では韓国の人々がいち早く救援の手を差し伸べてくれました。困った時に助け合うのが真の友人です。一歩一歩友情を深めながら東京まで歩き、若い世代に引き継ぐようにがんばりましょう」とあいさつした。
朝の気温は-2度と冷え込んだが、雲ひとつなくすっきりと晴れ渡った空の下を歩きだす。今年も景福宮からの出発では韓国観光公社の協賛で昔の朝鮮通信使の衣装に身を包んだ韓国ウオーカーが正使、副使、従事官に扮して先導、にぎやかな笛やドラ尾の音が響く中を東京へ向けて歩き出した。
今回ソウルスタート時の日本隊は28人(在日のウオーカー7人を含む)、韓国隊は7人。日本隊の平均年齢は72歳になった。12年前の第1次に比べて7才も年を取ったことになる。
最高齢は在日の金承南さんの85歳。60歳からマラソンを始めて今でも年に数回マラソンを走る、強者(つわもの)だ。同じく在日のウオーカー、李恵美子さん(68)は7回連続の参加。「東京までの全コースを歩くのは2回目ですが、何とか全部を歩き通したい。でもマイペースを守って日韓の仲間と楽しい会話をかわして歩きます」と意気込みを語った。また日本からは「J落零ウォーキング倶楽部」のウオーカー30人などが1日参加して歩き、台湾のウオーカーも3人(ソウルー釜山)が参加している。
漢江を渡り、良才まではオフィスで働くたくさんの人たちが行き交う市街地の歩道を歩く。スタート地点の景福宮をはじめ市内のあちこちで桜が5分咲きになり、さわやかな「お花見ウオーク」を楽しんだ。
昼食後、市街地を離れると地下鉄の延伸で便利になり新興住宅地に変貌した郊外の道を歩く。そしてケナリ(レンギョウ)の黄色い花が咲くゴール地点の城南市・浄土寺までの27㌔を歩いた(1日目の参加ウオーカーは105人)。新装なった本堂で韓普光老師が今回も東京までの無事を祈願してくれた。そして老師から「この厳しい日韓の間で、今こそ朝鮮通信使の生まれ変わりのような皆さんの行動が大切。善隣友好の目的をしっかり果たしてください」と激励された。このお寺に泊るのは第2次以来で、久しぶりに精進料理をいただいた。
そして忠州、聞慶、安東、永川、慶州、蔚山を経て、22日に韓国コースの釜山に到着、日本コースでは東海道などを歩き、5月23日東京にゴールする。
(朝鮮通信使友情ウオークの会=文・金井三喜雄 写真・大嶋敏晴)
(2019.04.03 民団新聞)