掲載日 : [18-06-01] 照会数 : 10035
朝鮮朝後期の鎧 100年ぶりに祖国に
[ 18世紀後半に作られたと推定される朝鮮の綿皮甲 ]
国外所在文化財団は、18世紀後半に作られたと推定される朝鮮の鎧である綿皮甲をドイツ・バイエルミュンヘン近くのザンクト・オッティーリェン修道院の宣教博物館から今年1月、寄贈を受けたと、先月30日明らかにした。
分析と保存処理を経て、同日午前、ソウル鍾路区の国立故宮博物館で公開した。
この鎧がドイツに渡った時点は正確には明かされなかったが、同修道院の神父たちが韓国で活発に活動していた1910、20年代と推定されると財団側は説明した。 長さ101㌢、肩幅99㌢の鎧の内側には、持主の名前と推定される「李〇端」と書かれた墨書がある。鎧の表地は綿で作られており、生まれ変わりと再生の意味を込めている蓮花唐草模様が鮮明に残っている。
また内側には豚の皮で作られた3枚重ねの装甲194枚がぎっしり埋め込まれている。
チャ・ミエ同団チーム長は、「1808年に編さんされた軍政関連書籍である萬機要覧で『皮甲2892着を歩兵軍に配った』という記録があり、朝鮮朝後期の綿皮甲と推定している」とし、「現存する朝鮮朝時代の鎧が12点に過ぎないことから、非常に意味がある資料だ」と話した。
宣教博物館には、韓国の遺物1700点余りが所蔵されている。
同修道院は2005年、慶尚北道漆谷にある倭館修道院に「 謙斎鄭敾画帖 」を永久貸出したのをはじめ、今年1月は国内養蜂教材として知られる「養蜂要誌」を永久貸出の形で返還した経緯もある。