掲載日 : [19-07-05] 照会数 : 15053
韓日友好の陶磁器美術館建設へ 陳賢徳氏「今後5年めどに」
[ 陳賢徳さんと蒐集コレクションの一部(株式会社フェドラ東京支社) ]
日本の近世以降における陶磁器生産の展開には、壬辰倭乱のときに韓半島から連行された陶工も大きな役割を果たした。代表的なのが薩摩焼、有田焼・伊万里焼、唐津焼、萩焼などだ。これらに加え、高麗時代の青磁、朝鮮時代の白磁、日本でも「高麗茶碗」として珍重された粉青沙器などを収蔵した「陶磁器美術館」(仮称)を日本で設立するのが陳賢徳さん(63、民団栃木本部議長)の夢だ。5年後のオープンを目指している。
予定通り竣工すれば、陳さんがこれまでに蒐集してきた韓半島ゆかりの陶磁器1000点余りを一堂に展示。焼きものの歴史を学べる講座も開講していく。陳さんは「身近な陶磁器を通じて、日本人の韓半島を見る目が変わってくることだろう。在日には自信につながる。お互い仲良くなれるきっかけにしたい」と話す。
陳さんが韓半島由来の陶磁器に感心を持つようになったのは金達寿氏の小説『苗代川』だった。同小説は1966年に薩摩焼の窯元第14代沈寿官を鹿児島県の苗代川に訪ねた時の様子をほぼ事実そのままに作品化したもの。
小説を読んで感銘を受けた陳さんは九州に旅行し、第14代沈寿官氏の自宅を訪ね、初対面ながら心のこもった歓待を受けた。さらに長崎では孔子廟・中国歴史博物館を訪ね、在日華僑が日本文化の発展に貢献したとの説明書きを見て奮い立った。「陶磁器美術館」の建設はこのときに決意した。当時28歳だった。以来、今日まで決意が揺らぐことはなかたという。
55年、栃木県足利市生まれ。当時の家業が「朝鮮料理」だったことからついたあだ名が「朝鮮屋」。3歳で肋膜炎を患い、3カ月にわたり長期入院生活。そのためひ弱な体質になり、幼少時からいじめの標的に。喧嘩に負けるたび父親からげんこつの洗礼を受けた。いじめられたからこそ、韓国と日本の友好のために何かできないかと考えるようになった。「自分が体験したいじめを次の世代に持越してはならない」と。