掲載日 : [19-07-05] 照会数 : 11577
旧「満州」に渡った朝鮮人移民1世の写真記録集出版
[ 『「満州」に渡った朝鮮人たちー写真でたどる記憶と痕跡』(東京外国語大学「李光平写真集」発行委員会) ]
[ 高麗博物館での企画展 ]
[ 著書にサインする李光平さん ]
中国吉林省延辺朝鮮族自治州で生きる朝鮮人移民1世の写真記録集が『「満州」に渡った朝鮮人たちー写真でたどる記憶と痕跡』(東京外国語大学「李光平写真集」刊行委員会)と題して出版された。本書に寄稿した李光平氏(74)は1990年代後半から20年以上、延辺7つの県と市を隅々まで踏査し、約600人にインタビューし、写真とビデオ撮影を重ねてきた。
李氏は「ドキュメンタリー写真家」として「主観が入り込まない中立的立場」で淡々と被写体に向き合ったという。最初の動機は「興味から」だったが、やがて「私たちの民族の歴史を残すんだ」という使命感に変わった。バイクを使って走破した距離は5万㌔を超えた。
主な被写体は集団移民経験者、旧日本軍の強制徴用経験者、旧日本軍「慰安婦」被害者など。刊行委員会では「実際の体験者の姿と声が直接に収められたおそらく日本では最初の写真記録集」と話している。
ページを開く。洗濯に欠かせない砧(きぬた)や料理で使う臼、餅蒸し器、開墾用の鍬など、故郷から持ち込んだ貴重な生活用具も記録されていた。いまも集団部落があった安図県で暮らす金鉉鎰さんが大事に抱えているのは家族の族譜だ。
朝鮮総督府による本格的な集団移民は1937年から始まった。受け入れた関東軍・「満州国」は移民を中国共産党傘下の東北抗日聯軍が頻繁に出現するへんぴな山奥や農村に配した。いわば植民地統治強化のための「防御壁」としたのだ。
現地では日満警察隊や治安隊との間で戦闘がひんぱんに起こり、朝鮮人移民は夜もおちおち眠ることはできなかったと証言している。一方で朝鮮人移民は水田を開発し、中国東北に稲作を普及させた功労者しても知られる。
2400円+税。世織書房(045・317・3176)。