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<韓日国交50周年特集>「継続は力」実感…積み重ねた交流
代わるがわる韓国語で自己紹介する生徒
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自由の森学園高校(埼玉・飯能)
韓国をトータル学習…映画やグルメ、K-POP
 
 自由の森学園高校(鬼沢真之理事長、埼玉県飯能市)には韓国の歴史や文化を学ぶ教科「韓国講座」というユニークな選択授業が用意されている。県内で同様の講座を開設している高校があるのか、担当の藤原敏教諭に確認したところ、「聞いたことがない」という。
 
加害の歴史を掘り下げ学ぶ
 
 「韓国講座」ではアジアに対する加害の歴史を掘り下げて学ぶ。藤原教諭は「正しい歴史認識は、アジアの人々と友好関係を結ぶうえで欠かせない」と話す。生徒と一緒に韓国の映画を見たり、食べ物の話題で盛り上がり、K‐POPに合わせて一緒にダンスに興じることも。
 
 講座の大きな柱は夏の韓国研修旅行だ。20人ほどの生徒が8日間の滞在期間中、歴史を正面から見つめようと、元慰安婦のハルモニが共同生活しているナヌムの家や植民地時代の歴史を肌で体感できる独立記念館、西大門刑務所跡も訪れる。
 
 交流先のサンマウル高校(江華島)ではテーマをひとつ決めて、生徒どうし話し合う。この後のチマ・チョゴリとゆかたを交換する異文化体験は、最も盛り上がる瞬間だ。そのまま双方の伝統的な遊びを楽しむ。ホームステイ先での交流も得がたい体験のようだ。
 
 逆に冬休みには韓国から高校生を迎え入れることから、在学中の3年間で自然と濃密な人間関係が形成される。韓国講座を選択した卒業生のひとりは、卒業してからも依然として韓国ファンだという。「親にあいそつかれるほど韓国が好きだ。もう韓国は私にとって海外ではない。高校の時に先方の友人が僕らは兄弟と言った。いまでもやっぱり他人とは思えない」との一文を寄稿している。
 
 韓国との交流は95年から始まった。「歴史を正面から見つめよう」という社会科教員グループの熱意がきっかけだった。訪韓して教員どうし、歴史認識や授業づくりをテーマとした意見交換を重ねるうち、双方の高校での相互授業交流へと発展した。98年からは交流の主役が、教員から生徒どうしへと移っている。
 
 藤原教諭は話す。「日韓の友好のためになにが大事なのか。まず、楽しくなければ友好は始まらない。しかし、楽しさだけでも友好は深まりません。歴史問題にちゅうちょなく向き合っていくことが大事なのです」
 
 「韓国講座」がきっかけとなって韓国の大学に進学したり、語学留学する卒業生もこれまでに8人ほど出ているという。
 
済州道で若者と交流も
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ハングル韓国語教室(東京・杉並)
文化体感旅行を企画…隣人の温かさ知る機会
 
 韓日交流の場を目指し、2002年10月から韓国語教室(東京・杉並区)を運営してきた市吉則浩さん(41)。
 
 05年から修学旅行という形で年1回、独自の企画で韓国旅行を実施し、07年からは年2回(春・夏または秋・冬)開催している。
 
国楽の鑑賞やキムチ体験も
 
 7月10〜12日まで予定している修学旅行は、初めて韓国の伝統音楽を体験する。
 
 修学旅行の行き先はソウル。国立国楽院を訪問して韓国の伝統楽器、タンソ(縦笛)を体験するほか、国楽博物館見学や公演鑑賞などを満喫するというもの。
 
 市吉さんは初回から旅行プランを立ててきたが、今回は韓国関係の仕事を通じて知り合い、長年にわたり韓国音楽を研究している洗足学園音楽大学講師の山本華子さんに「国楽関係の旅にしたい」と相談した。
 
 山本さんは国楽院の院長に連絡したり、スケジュールの段取りをつけてくれた。
 
 これまで地元の人たちと触れ合ったキムチ体験(忠清道)や安東仮面劇公演(慶尚北道)の鑑賞はあったが、旅行の中心は観光だった。
 
 市吉さんはサラリーマン時代、海外で仕事がしたいと思い、まず日本語教師の資格を取った。たまたま講師の空きがあった大邱で00〜01年まで暮らした後、ソウルで1年間、延世大学の語学堂に通いながら日本語講師を続けた。初めての韓国で感じたのは「人の温かさ」だった。
 
 帰国後、韓国関連の書籍を製作する編集プロダクションに入社後、個人で韓国語教室「韓日交流センター」を立ち上げた。12年の法人化に伴い「ハングル韓国語教室」に改め現在に至る。
 
 当初「会話の機会がほしい」という受講生の声に応え、韓国語を使う場を広げようと日本で暮らす韓国人の知り合いを集めて交流会を行った。韓国旅行を計画したのは自身がそうであったように「人の良さや温かさを受講生たちに知ってもらいたかったから」。
 
 市吉さんは「お互い外国人同士なのに、すぐ友だちになれて理解し合える。日本人同士でも難しいことなのに、国や文化を超えて関係を築けるなら、そういう場をもっと増やしたい」と話す。
 
 この間、韓国人と交流を重ねてきた受講生たちは「友だちになったとか、強い絆が生まれたことによって、それを機会に言葉を一生懸命勉強している方も多い」という。  28日は教室で、旅行に参加する生徒11人(40〜70代)を対象に、山本さんが韓国の伝統音楽について事前学習を行う。
 
 市吉さんは「垣根を越えて近づける機会が増えれば絶対に分かりあえる」と確信している
 
スタッフとともに。中央が李美慶代表
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日韓友好協会(東京・荒川)
韓国留学仲介2万人…きめ細かなケアで安心感
 
 韓国留学を仲介する専門機関として、今年で17年目を迎えた東京・荒川区の日韓友好協会(李美慶代表)は、これまでに2万人ちかくを世話した。現在、慶煕、高麗、延世、梨花女子など13の大学(ソウル11校、大邱1校、釜山1校)と提携している。
 
 長期・短期コースのほか、夏休み・春休みを利用した短期留学も人気だ。李さんが心がけてきた信頼と安心、そしてきめ細やかなサポートは、他社を寄せ付けない強みだ。
 
 留学に行くまでに李さんらはベッドのサイズから食事、洋式トイレに温水洗浄便座がついているかなど、留学生の現地希望を確認するために宿泊先とメールで50から100通のやり取りをする。 「1から10までのケアが大切。現地サポート員も手配し、大学との連携も強いので何かあったときはすぐに対応できる」。日本の人はきめ細かく、マナーの良さが現地では人気だ。
 
 李さんは25歳のとき、在日同胞に嫁いで来日した。子育てが落ち着き大学に入学。その後、中国留学の斡旋業務などを手がけ、新たに韓国留学を始めることになった会社で働いた。当時、インターネットはなく、韓国の大学に電話をして一つひとつ情報集めをした。 Imuniteto stiprinimas, liaudies medicina, vitaminai, maisto papildai, organizmo valymas, ženšenis, bičių duonelė, gintaras, nevaisingumas ir gera sveikata - netradicinemedicina.com
 
 だが、韓国留学への問い合わせはほとんどなく1年で閉めることに。「これで止めてしまうのはもったいないと思った。ほかで韓国留学をやっているところもなかったのでやってみようと考えた」
 
短期の語学生若者に広がる
 
 98年、同協会を創業。最初は手探り状態だったが、02韓日共催サッカー・ワールドカップ開催が決まり、00年から韓国への関心が高まっていくと同時に、需要が増え仕事が軌道に乗る。
 
 続く韓流ブームでは60歳以上の日本人たちの語学留学が一気に増加。「ピーク時で年間800人以上、24時間働いた記憶がある」
 
 留学人気は青少年にまで広がった。近年、10年以降のK‐POPブームでファンになった中・高校生たちが、夏休みや春休みを利用した短期留学が増え、高校の国際理解教育で第2外国語として韓国語を選択した学生たちが卒業後韓国へ渡り、大学の語学堂を経て、4年制大学に進学するケースが増えているという。 「母親はヨン様世代なので協力的です」。しかし、サーズ(新型感染症)の発生や北韓のミサイル発射などが起きるたびにキャンセルが相次いだ。毎年、何が起こるか分からない。
 
 「波があるから止めていく業者が多い。でもうちの場合は10年以上前に留学した方たちが、今も行くんです。既存のお客さんが強いなというのがよく分かる」。2年前から年平均500〜600人が留学している。
 
 同協会は01年から「読み書きを覚えてから留学したい」という要望に応え、韓国語教室を運営している。「ここまでやってこられたのは、いろいろな助けがあったから。韓国が好きで韓国へ行く方がいるのは本当にありがたい。それは韓国も同じ」
 
韓国語教師の増田みつ枝さんを講師に招いた6月例会
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異文化を愉しむ会(東京・調布)
互いに理解しあう場…地域の在日同胞と日本人
 
 多摩地域の在日韓国人と日本人が集い、等身大の交流を楽しんでいるのが「異文化を愉しむ会」だ。例会は月1回。東京都調布市内の公共施設の一室を借りている。
 
 6月の例会には、85年からソウルに4年間滞在し、延世大学語学堂に通って韓国語をマスターした増田みつ枝さんをゲストに呼んだ。韓国と関わり続けてきた30年間は「あっという間」だったという。現在、韓国語の教師や司会、ワークショップデザイナーとして活躍中。
 
 増田さんは自分の目で直接、見て体験した価値観の違いを面白おかしく語って聞かせた。たとえば「割り勘」を嫌う文化。韓国は「どうせまた会えるから」と、年上かお金のある者が出すのがあたりまえ。一方、日本は「次の機会も気軽に会いたいから」と均等に支払う。福田さんは「次にも会うという目的については一緒」と共通点を指摘した。
 
「似て非なる」体験語りあう
 
 すると、講演を聴いていた出席者からも「似て非なる」体験談が相次いで披露された。「困っている人がいたら後先を考えない。重い荷物を持っていたら、ひったくられそうになった」と笑いながら話す人も。
 
 一方、日本でアルバイトしている韓国人の学生がお客に、「(卑屈に見えるからと)ありがとうといえない」のを見たという声も。
 
 会を主宰する呉文子さんも、今は亡き在日1世のオモニを通して生活習慣や文化の違いを痛感したと自らの体験を語った。
 
 オモニが第1腰椎破裂骨折で病院に入院したときのことだ。日本語の読み書きができないオモニは薬の説明が読めず、正しく服用できなかったという。食事のマナーの違いには同じ大部屋の入院患者から奇異の目を向けられた。ましてや、キムチの差し入れなどできなかった。オモニは食事が進まず、健康を取り戻すのに多くの時間を必要とした。
 
 「異文化への関心や理解が深い社会だったら、私の母はもちろん、多くの在日1世が苦労することはなかった」と呉さん。「私たちも老いを迎える前に、お互いの理解を深める必要があるのでは」と01年、調布市内の友人らと一緒に立ち上げた。今年で15年目に入った。
 
 事務担当の陸久美子さんは、「はじめたころは『なんで韓国なの』と聞かれることが多かった」という。答えは「隣の国だから」。
 
 これまで、韓国と日本の両方で翻訳された絵本の読み比べや料理講習、映画鑑賞会、さらにはK‐POPの話題で盛り上がったことも。04年には調布市文化会館「たづくりむらさきホール」で韓国の伝統芸能を基にした観客参加型の創作舞台「クッノリ」の公演を成功させた。
 
 呉さんは「在日だからこそこの日本で存在価値を、また、その違いを誇示する意味も大きい。異なることが差別というマイナスイメージでなく、カルチャーカラーとして、プラスの特色として日本社会に調和できればいい」と目を輝かす。
 
B級グルメ大会で入賞した「各務原キムチ鍋」
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各務原キムチ(岐阜県)
都市おこしの逸品に…盛況の講習会、鍋物も開発
 
 「美味しい」ばかりか「健康にプラス」とあって、いまや全国各地でキムチブーム。このキムチを使って「都市おこし」を進めているのが岐阜県各務原市だ。
 
 漬ける食材は白菜ばかりか、大根やきゅうり、ヤーコン、竹の子、菊芋、エリンギ茸、カブ、エゴマの葉、するめと種類も豊富。味は製造者によってまちまち。発酵食品としての熟成を売りものにした「本格風」や日本人好みの浅漬け味「和風・あっさり」も。
 
B級グルメで入賞の体験も
 
 「各務原キムチ鍋」は08年に福岡県久留米市で開かれたB級ご当地グルメの「B‐1グランプリ」第3回大会に参戦し、ブロンズグランプリ(3位)を獲得した。いまやその知名度は全国区クラスに。
 
 各務原市にはもともとキムチづくりが盛んとなる下地があったようだ。 各務原日韓親善協会が99年に発足。その年から恒例事業として「キムチ漬け」講習を行っている。これが毎年、定員を大幅に上回る盛況ぶり。
 
「冬のソナタ」企画に70万人
 
 03年には「韓国ドラマの聖地」春川市と姉妹都市提携。翌年、提携1周年を記念して「冬のソナタ」に関するイベント「『冬のソナタ』春川物語」を開催したところ、全国から70万人が押し寄せ、イベントで用意した物販がことごとく売り切れに。
 
 なかでも大きな人気を集めたのが、地域の人たちが手づくりしたキムチだった。イベント終了後も「あのキムチはもう食べられないのですか」という問い合わせが数多く寄せられた。
 
 イベント企画者の一人で市の観光交流課にいた古田希雄さんは、「イベント自体は一過性のものだが、この流れを切ることなく続けていく仕組みをつくる仕掛けができないだろうか」と、「『各務原キムチ』による都市おこし」を市長に提案した。
 
 市の決断は早かった。イベントの終了は14年12月26日のこと。翌年1月には「各務原キムチ」による「都市おこし」を行う市の組織「キムチ日本一の都市研究会」が立ち上がった。
 
 半年間、激論を重ね、各務原名物のニンジンと春川市の特産品でもある松の実が入ったキムチを「各務原キムチ」と定義づけた。ニンジンと松の実の効果で一般のキムチよりも栄養成分に優れた商品ができあがった。
 
 市内はいたるところでマスコットキャラクター「キムぴー」が描かれたノボリがはためき、スーパーの漬物売り場からはイメージソング「キムチの気持ち」が終日流れている。各務原キムチはいまや市民の食卓に欠かせない食材として認識されている。メーカー販売実績を見ると、06年の300万円が07年には4600万円と伸張。この勢いはいまも続いている。
 
発足30周年を記念し慶山市にさくらの苗木を植樹した
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日韓親善京都「さくらとむくげの会」
はつらつ「民間使者」…城陽・慶山市 民団支部が後押し
 
 日韓親善京都「さくらとむくげの会」(古瀬善啓会長)は、地元の城陽市と慶山市との姉妹都市提携の原動力となった団体だ。地元の民団南京都支部(金政弘支団長)との協力関係も緊密だ。会員数は約60人を数え、このうち4分の1を在日韓国人で占める。
 
 韓日交流が始まったのは少年のサッカー交流がきっかけだった。82年、京都韓国青年商工会議所(KJC)の招きで慶山市と隣接する大邱市から小学生のサッカーチームが来日。京都で最強だった城陽市チームと親善試合を行った。結果は城陽市側の完敗。城陽市側は「強くなりたい」と、民団南京都支部を介して韓国との親善交流を申し入れた。これをきっかけに83年に発足したのが、前身の日韓親善京都城陽協会だった。
 
 ちなみに、城陽市チームは韓国との相互交流から数年後には全国大会で優勝する。当時を知る高山和己相談役が振り返った。
 
 「あのときまで民団支部の存在は知らなかった。在日の方から韓国語を聞くこともなかった。しかし、日韓親善協会ができてからは在日の方も堂々と韓国語を話すようになった。指紋押捺廃止運動の高まりもあってわれわれも協力した」
 
すそ野ひろがり国際交流賞も
 
 城陽協会ができてから韓日少年サッカー交流以外にも「日韓料理教室」や「花見会」などが加わり、在日韓国人との交流が一層、活発になった。この功績が認められ、97年には京都新聞社から「第7回市民国際交流賞」が贈られた。
 
 05年には両国の国際交流の「民間使者」たらんと願い、親しみやすい日韓親善京都「さくらとむくげの会」と改称。13年には会発足30周年を記念して慶山市城陽公園にさくらの苗木を植樹した。 中村蔵人事務局長は30年以上の長きにわたって韓日交流を続けてきたのは、「草の根の市民交流に徹し、やっかいな政治をいっさい持ち込まなかったことだ」と語っている。
 
 昨年には城陽市長を歴任した今道仙次名誉会長に「韓国国務総理賞」が贈られた。
 
仲間とともに、「日本人オモニ」と慕われる日高京子会長(右端)
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韓国ドラマ・映画・音楽を愛する会(神戸)
韓国大好きどうしで…韓流イベントの支援も
 
 普通の主婦のおばちゃんたちが韓国大好きで集まった「韓国ドラマ・映画・音楽を愛する会」(日高京子会長、神戸市)。愛するスターの追っかけだけでは終わらない。韓流イベントの企画・協力から、新人韓国人アーティストのサポートまで手がけ、「日本人オモニ」と慕われている。
 
 日本全国に韓流ファンを産み出した韓国ドラマ「冬のソナタ」がNHK衛星放送で放映されたのは03年のこと。日高さんは当時、友人と一緒に番組を視聴していた。
 
 すると、番組に出てくる食材のことがよくわからない。仲間どうし質問が飛び交った。「トッポッキってなに?」、「チャプチェって?」。好奇心を燃やしてロケ地を訪ね歩くうち、いつのまにか韓国文化の深い魅力にからめとられていった。
 
 03年に「愛する会」を発足。しばらくはスターの追っかけに夢中になっていたが、いつのまにか愛するスターのためならばと、国境を越えた支援活動に軸足を移していった。
 
韓国ロケ隊に食事差し入れ
 
 08年、ソン・イルグク出演「風の国」の制作が始まるやその成功を願い、韓国のロケ地に千羽鶴と差し入れ100人分を届けた。また、チェ・ジウとユ・ジテ出演のドラマ「スターの恋人」の神戸ロケのときには、朝と昼の撮影隊120人分の食事を差し入れた。
 
 K‐POP歌手が日本でデビューすると、その売り出しのため、自治会長を口説いて盆踊りに出演させた。狙いはみごとにあたり、地域住民から「来年も楽しみ」と感謝された。
 
ロッテからは感謝牌を贈呈
 
 会発足から満10周年にあたる13年6月には、インターネットメディア「ユーストリーム」を媒体に、関西地域での韓流イベントの詳細を告知する情報発信番組「神戸コリアまだん」(プロデュサー、日高ともこ)を立ち上げた。いちばんの売りは、韓国の俳優や歌手が生電話で出演すること。視聴回数は5万5000回を数えた。
 
 アーティストたちの個人的な悩みや相談にも快く応じ、日高会長は「日本のオモニ」と感謝されている。「これもみんな、家族の理解があってこそ。息子も協力してくれている。韓流のおかげで嫁とも友だちのような感覚」と話す。韓国のロッテ建設の会長だった林勝男氏からは感謝牌を贈られた。
 
 メンバーは日高会長を評して、「パワフルの一言」と評価する。「出来ないことはない」、「考える前にもう動いている」という。
 
 今年は「これまで交流した歌手や俳優とその両親、友人らを呼んでの交流会を開きたい」と日高会長。「人と人とのつながりがここまで会を継続させてくれた。アジアはひとつという思いで、これからも活動を続け、後継者を育てていきたい」
 
韓国から中学生を招いて歓迎会
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兵庫県高砂市柔道協会
技磨き合い友情育む…30年の橋渡し役 民団幹部
 
 兵庫県高砂市柔道協会(山本浩生理事長、亀本泰司会長)が、「スポーツを通じて国際交流を重ね、子どもたちが友情を育むことで、相互理解につながる」と、韓国との柔道交流を重ねて今年で30年。これほどの長きにわたって交流が続いているのは全国でも珍しい。
 
 幼少のころから30年以上も柔道に打ち込んできた同協会の顧問、白永煕さん(民団兵庫本部常任顧問)が84年、自らの故郷でもある全羅南道木浦市との間で橋渡し役を担った。94年からは交流先が木浦市から京畿道安養市に替わったものの、親善交流は変わらず続く。
 
 子どもたちばかりか成人も含めて、お互い隔年ごとに来日・訪韓し、交流試合やホームステイなどを通じて、交流を積み重ねている。
 
 亀本会長は大学卒業の翌日、初めて訪韓交流に参加した。「2回ほど訪韓に参加した。韓国の選手はとても強かった印象が残っている」と当時を振り返った。
 
 交流の主役は中学生。安養市凡渓中学校と高砂市内の中学生は、短い滞在期間ながら交流を重ねるうち、固い友情を育んでいった。
 
 長年の交流に尽力した白常任顧問には、木浦柔道協会や凡渓中学校から感謝牌、当時の高砂市長からも感謝状が贈られた。駐神戸総領事館からは同協会に感謝状が贈られた。
 
大震災時には自主的募金も
 
 東日本大震災があった11年には、被災者のためにと凡渓中学校から義捐金350万ウォンが民団兵庫本部に送られた。長年柔道を通じて交流を重ねている日本で未曾有の大震災がおきたことに胸を痛めた生徒たちが、「何かしなければ」と自主的に校内募金を行ったという。
 
 白常任顧問は「柔道をきっかけに、子どもたちの心の交流にまでつながったことはうれしいこと」と感謝していた。
 
 長きにわたり交流を重ねてきたが、昨年はセウォル号沈没事故が発生し、初めて交流を自粛した。
 
 また、柔道に打ち込む中学生が高砂協会、凡渓中学校で減少していることも悩みの種だ。山本理事長は「これまで続いた交流を絶やしてはいけない」と、新しい交流先を模索している。
 
 亀本会長も「隣国とのスポーツを通じた交流は、子どもたちにとってもいい経験であり、将来必ず役にたつ」と熱く語った。
 
(2015.6.24 民団新聞)
 
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