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<韓国に生活を置いて>現場に住む喜びと責任と…戸田 郁子(作家、仁川市)
 戸田郁子 作家、翻訳家。仁川官洞ギャラリー、図書出版土香を経営。1983年よりソウルに留学。留学生活を書いた『ふだん着のソウル案内』(晶文社)、韓国人との結婚の顛末を書いた『悩ましくて愛しいソウル大家族』(講談社+α文庫)、中国東北地方で近代史の痕跡を取材した『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)など多数の著書がある。
「生まれた国」という重荷
足枷から原動力に
 
 今私は仁川で、90年前に日本人が建てた家に住んでいる。初めて韓国を訪れた30数年前、こんな未来は夢想だにしなかった。これが、韓国とかかわった私の終着点かもしれないと思いながら、歴史の現場に住む喜びと責任を感じている。
 
 「人は、生まれた国の重荷を背負って生きている」。詩人金素雲先生の言葉が、20歳の私を韓国へ導いた。
 
 韓国で「日帝時代」と呼ばれる歴史を学びながら、自分が日本人であることがつらくてたまらなくなった。私と親しくした学生は、「親日派」と先輩に罵倒された。
 
 日本との歴史問題が起こるたび、「日本人として、どう思うか」と、厳しい問いを突きつけられた。「なんで私にばっかり……」と理不尽な思いを抱きながら、大学に通った。
 
 しかし学びの場の苦しさより、ソウル暮らしの楽しさがまさっていた。毎日バスに乗り、街を歩き回り、たくさんの出会いを重ねる充実した日々だった。
 
韓国の応援団を請けたつもりで
 
 私が日本の新聞や雑誌に韓国の暮らしや文化について記事を書き始めたのは、そんな留学生だった30年ほど前のこと。だれに命じられたわけでもなく、一人で韓国応援団を請け負ったかのように、気負っていたことを思い出す。
 
 日韓を往復する飛行機の中で見知らぬ人から、「なんで女が韓国に行くんだ」と、不躾な言葉を浴びせられたこともある。親からも「なぜ韓国なんかに」と、留学に大反対された。私の気負いは、自分の好きな韓国を、できるだけ楽しく日本に紹介しようという意地から発したものだ。だから「日本語で書くときは、決して韓国の悪口は言わない」という原則を、自らに課した。韓国の悪口は、韓国人に直接言えばいい、と。
 
 1980年代、日本の「教科書問題」、政治家の「妄言」や靖国神社参拝のたび、韓国人の反日気運が高まるのは、ほぼ毎年恒例のことだったように思う。商店街にはためく日本製品ボイコットの横断幕を見上げては、苦しい思いにかられた。街中で日本語を使うときには、つい小声になった。
 
マスコミが煽り世論が追随する
 
 思い起こせばいつの時代も、マスコミがまず煽り、世論がそれに追随した。過激な言動に走る者が出て、険悪ムードはまさに沸点に達するかと思いきや、「これじゃいけない」という冷静な意見が報道され始める。私の体験した30年余りの日韓関係は、まさにその繰り返しだった。だからこそ、思う。心ない者の戯言にふり回される必要などなし。大切なのは自分の立ち位置を見失わないことだ、と。
 
 互いに不信感をつのらせる昨今の日韓関係を、「最悪」と評す人は多い。しかし私に言わせれば、善かれ悪しかれ、互いに関心を持つようになったことは「大進歩」だ。歴史問題を否応なしに突きつけられる「宿命」を、多くの日本人と共有できるようになったことを、むしろ幸いとすら思う。様々な意見が出てこそ、歴史の検証や研究もさらに進むのだから。
 
 歴史を恐れる必要はない。怖いと感じるのは、知らないせいだ。一歩踏み込んで、知ろうとすればいい。
 
侵略の歴史は双方に痛みを
 
 侵略の歴史は、痛みを伴う。それは加害者にとっても被害者にとっても、つらいものだ。8月15日には植民支配からの解放を、3月1日には抗日運動を想起する記念日が韓国にはあるけれど、その日が過ぎれば、日帝時代を語る声はとたんにトーンダウンする。負の歴史から逃れたいと願っているのは、なにも日本人ばかりではない。
 
 日帝時代にこだわり続けてきた私がたどり着いたのが、近代史の痕跡を色濃く残す仁川の町だ。ここにあるのは、石造りの立派な歴史遺産だけではない。日本で「町屋」と呼ばれる木造住宅が、今も通りにずらりと並んでいる。かつて、多いときには2万人もの日本人が、この辺りに住んでいたという。
 
 立派な神社仏閣や銀行、郵便局、カフェや料理屋、旅館や遊郭もあった。精米所を経営していた金持ちは、海を見下ろす山の手に、庭園付きのお屋敷を構えていた。役人や会社員、教師、一旗揚げようと海を渡った商売人もいた。
 
白と黒すぱっといかぬ面白さが
 
 仁川はまた、大陸へ向かう人々が立ち寄る港町でもあった。著名な画家や作家、政治家や軍人も、この町を行き来した。ここにいた日本人はすべて「侵略者」、朝鮮人はすべて「被害者」だったのだろうか。歴史はそんなふうに、白と黒とにすぱっと分けることなどできないから、面白いのだ。様々な営みの痕跡を、私はこの町で探して歩いている。
 
 私の住む木造長屋は、仁川府に勤めていた官吏の住宅だったらしい。90年の歳月を経て、なお堅固に立っているのを見ると、生来の職人気質の大工が作り上げたに違いない。
 
 今年、わが家と壁続きのボロボロだった隣家を再生して、ギャラリーとしてオープンした。海を越えた交流の場として、大いに活用してもらいたいと願っている。
 
 韓国に残る日本住宅は解放後、「敵産家屋」と呼ばれた。まさに負の遺産だ。戦後70年たった今では、老朽化したやっかいな家ともなっている。こんなもの、なくしてしまった方がせいせいすると考える韓国人も少なくない。実はそれは、侵略の歴史の風化を待ち望む日本人にとっても、願ったりのことではないか。
 
歴史を守って未来につなぐ
 
 過ぎた時代の痕跡を訪ね歩き、まとめること、語ることが、これまで自分の仕事だと思ってきた。この家に住みながら、歴史を守り、未来へつなげるという役割が加わったことを、自覚している。
 
 「生まれた国の重荷」は足枷ではなく、いつの間にか私を動かす原動力となっていた。それを今、しみじみとありがたく思う。
 
(2015.6.24 民団新聞)
 
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