庭内に入って、まず目についたのは水である。処々に水の流れがある。近くの蓼川から引いた水だが、山清水のように透き通っている。水の清さに気持ちまでが澄んでくる。全羅南道南原市の広寒楼苑。もとは15世紀前半、世宗時代に建てられたという広寒楼を中心にした庭園だが、朝鮮を代表する愛の物語『春香伝』の舞台として知られる。 名妓の娘・春香は、南原府使(地方長官)の御曹司の夢龍に見そめられ相愛の仲になるが、夢龍は父に伴い都へ移り、別離が訪れる。新任の府使は好色な悪代官で、権力を笠に春香をものにしようとする。拒絶した春香は投獄され、明日の命も知れぬ身に。だがやがて暗行御使(王命による隠密の地方監察官)として南原を訪ねた夢龍によって救出され、2人は晴れて夫婦として結ばれる。ストーリーの概略はそんなところだが、小説としてだけではなく、朗唱演芸のパンソリにもなって盛んに演じられた。 広寒楼は2人の出会いとなった所で、端午の節句の日、夢龍はこの2階からクネ(ブランコ)に乗る美しい娘を見て一目惚れした。その娘、春香は池にかかる烏鵲橋を渡り広寒楼にやってくる。烏鵲とはカササギのことで、七夕の日に翼を並べて天の川に橋をかけ、牽牛と織姫の逢瀬を助ける。伝説に基づく愛の橋が春香と夢龍を結んだ。 水の流れに導かれつつ、庭の奥にある広寒楼に向かった。池に面した2層の建物が美しい。水面がさざ波だつと、陽光が反射してゆらゆらと楼閣に光の輪を投げかける。 烏鵲橋を渡った。広寒楼が一歩一歩近づいてくる。まっすぐに伸びる石橋を歩きながら、この橋もまた歌舞伎の花道のように愛の物語に欠かせぬ舞台装置だと実感した。広寒楼から眺めれば、色鮮やかなチマ・チョゴリを池水に映しながらやってくる春香は、天女にも見まがう艶やかさであったことだろう。 長らくフィクションだと思われていた『春香伝』に、ベースとなる実在のモデルがいたことが近年になって判明した。17世紀の文臣・成以性が南原府使だった父とこの町に暮らした時に、若い妓女と相思相愛になった。当人としては真剣な愛だったが、朝鮮王朝時代の儒教社会に於いては身分差の壁は越えがたく、別離を強いられた。 その後、暗行御使として各地をまわった成以性は、50歳を過ぎて南原を再訪、かつての情人の行方を探すが徒労に終わる。折しも雪の降る中、成以性は重い心で思い出の場所の広寒楼を訪ねた。その夜、彼は様々な思いに胸塞がれ、なかなか寝つけなかったと日記に書き残している。 広寒楼の横手には、成以性の父・成安義の善政碑がたっている。物語と現実をつなぐ歴史的モニュメント。父の善政が讃えられ、息子も官吏として出世して行く陰で、ひとつの愛が空しく流れ、涙を呑んだ女がいたのだった。 ハッピーエンドの物語の下敷きに、このような現実の悲恋があった。『春香伝』は現実にはかなわぬ人々の夢や願いが結晶したものだったのだ。そう思うと、広寒楼と庭園の天国的な美しい風景が、何ともせつなく見えてくるのだった。 多胡吉郎(作家) (2013.12.25 民団新聞) |