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ニューミレニアム…走れ!在日コリアン<3>

韓国のTVドラマに出演・鄭文寿さん(37)



■□■ 韓日で光る俳優めざす ■□■

俳優とモデルを兼業
芝居への夢開く

 ソフトな関西弁に在日韓国人とは思えないエキゾチックなマスク。MOONSUこと鄭文寿さんは、大阪生まれの37歳。俳優とモデルを兼業している。

 今年夏に韓国のテレビドラマに出演することが決まり、現在その準備に忙しい。これまで二足のわらじを履いてきたが、役者として本格的な活動に復帰することになった。


◆少年野球で優勝2回

 5人の兄弟姉妹の真ん中で、幼い頃は次兄から「巨人の星を地で行くスパルタ教育を受けた」という野球少年だった。小学6年生の時には全国大会優勝2回という華々しい戦績も残した。兄たちの影響もあり、在日の自分に向き合うのも早かった。中学生になって自ら本名を名乗り始める。

 「名前が二つあることの不自然さに気づいた。他の外国人が通名を持つか?ジョン・レノンはジョン・レノンだろう」と。

 先輩が「ややこしいからそのままでいいやないか」と言ったのに反発して少年野球をやめたというから、その思いは半端じゃない。

 そんな彼の心が役者へと動いたのは、ほとんど毎日映画館に通っていた17歳の頃。

 映画漬けの生活の中で「自分を表現できるのはこれしかない」と思った。20歳の時には李恢成原作の映画「伽〓子のために」のオーディションを受け、最終選考まで残ったものの惜しくも落ちた。役者への道を模索しながらも生活していかねばならない。


◆トップクラスのモデルへ

 そんな時、長兄の鄭甲寿さんが主宰するワンコリアフェスティバルで、モデルをしていた幼なじみに再会、民族衣装のファッションショーに飛び入りしたことからモデル界入りすることになった。

 大阪では彼を知らない人はいないくらいのトップクラスのモデルになった。第一興商、テイチクなどのカラオケ映像に登場。また、大和銀行やJR西日本のCMにも出ていた。

 だが、苦い経験もある。「2年目に売れ出してきて、本名で『ムンス』とカタカナを使った。それで僕がコリアンとわかると決まっていた二十本の仕事が立て続けにキャンセルされた。

 「どう見てもおまえはラテン系や」という友人の勧めもあって、スペインの血が混じってるということにしたら、また仕事が来始めと笑う。


◆新宿梁山泊との出会い

 モデルで安定していく一方で、劇団・新宿梁山泊との出会いが彼の役者への思いを決定づける。それまで映像が好きで、劇団にはあまり興味がなかったというが、「テント芝居は映画に似ていた。スケールの大きさ、ファンタスティックなところに魅了された」。

 裏方も経験し、役者と裏方双方の感覚、痛みをを身につけたことが、今も大きな自信になっている。怪我のために「梁山泊」は8年で辞めざるをえなかったが、役者への夢を捨てずにいたことが、今日のチャンスにつながった。

 これからは順調なモデル業を捨てても大好きな芝居に専念したいという鄭さん。東京のプロダクション「ヴァンセット」に所属し、役者として見事再デビューを飾る。

 韓国のテレビドラマ初出演については。「オレは在日や、というのを韓国で堂々と出して、今度は日本に逆輸入という形で戻ってきたい。韓日で文化交流の窓口が開いてきた今、在日はその架け橋になれるはず」と意気込む。

 テレビの後には韓国映画に出演という話も来ている。5月の撮影開始に向けて、これからはウリマルの勉強に忙しい日々になる。

(2000.01.01 民団新聞)



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