民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
新時代の同胞社会を語る<1>

■□新世代の生き方■□
朴一・大阪市立大助教授



■国境越えた可変的存在
 民族的シンボルにこだわり、独自集団形成か

 一昨年、私はある自治体で、18歳以上のコリアンを対象とした「外国人市民アンケート調査」を実施するチャンスに恵まれた。ここで調査結果について詳しく論じる余裕はないが、在日コリアンの新しい世代(三世、四世)の生き方について、調査結果から新たにわかったことを簡単に報告してみたい。

 まず在日コリアンの国籍に対する意識を観察すると、60歳代から30歳代では、確かに年齢層が下がるにつれ、「これからも母国籍でいたい」という比率が下がり、「日本国籍を取得したい」比率が高まっている。しかし、三世・四世が大部分を占める29歳以下の世代になると、30歳代よりも「母国籍でいたい」という比率が10%近く上昇し(40・7%)、「日本国籍を取得したい」という者(42・0%)とほぼ同率となっている。

 こうした数字の変化は、公務員の国籍条項や参政権が認められつつある現在、新しい世代の中で、日本国籍を取得することにメリットを感じなくなっている人々が増加していることを物語っている。

 いずれにせよ、こうした新世代の母国籍に対する意識の変化は、これまでの「世代が若くなるにつれ日本国籍の取得意欲が高まるという」言説に再考察を促している。

 名前については、どうか。一世が大部分を占める60歳代を除けば、依然として日本名の使用者が多いとはいえ、59歳以下については年齢層が下がるにつれて、すなわち世代が若くなるにつれて、民族名の使用者の比率が徐々に高まっている。二世が多くを占める50歳代や40歳代では、民族名の使用者は約7%であるが、二世から三世の過渡期にあたる30歳代になるとその比率は16%を超え、三世・四世の世代に突入した20歳代になるとその比率は実に21%まで上昇している。こうした数字は、「若い世代ほど日本名の使用者が多い」という言説は誤りで、むしろ世代が若くなるにつれ、逆に民族名にこだわりを持つ人々が増えていることを示している。

 母国語に対する理解度を見ると、確かに30歳代以上の年齢層を見ると年代が下がるにつれて「母国語ができない」と答えた者が増えている。しかし逆に「母国語ができる」と答えた比率では、五十代よりも四十代が、また三十代よりも29歳以下の世代のほうが高い数値がでている。

 仮に50代を二世の最初の世代、30代を二世から三世への移行期の世代、29歳以下を三世・四世の世代とするなら、世代が下がるにつれ、「母国語ができる」と答えた層が拡大している(9・3%↓16・4%↓22・1%)ことは注目される。とりわけ50代と29歳以下の世代を比較すると「母国語ができる」と「だいたいできる」の数値がほぼ入れ替わり、50代の二世よりも29歳以下の三世・四世のほうが「できる‥」と答えた者が厚い層をなしていることがわかる。こうしたデータは「若い世代ほど母国語を使えない者が多い」というこれまでの言説が、必ずしも現実を反映するものではないことを示している。

 このようなデータから見る限り在日の新世代の動向を「同化」という言葉では括れないことがわかる。それでは、こうした在日の新しい世代の生き方を、どのように理解すればいいのであろうか。

 在日コリアンの若い世代の聞き取りを通じて、彼らのアイデンティティを追求してきた福岡安則は、彼らの生き方を「共生志向」、「祖国志向」、「個人志向」、「帰化志向」の四つの類型に分類している(福岡『在日韓国・朝鮮人〜若い世代のアイデンティティ』中公新書、1993年)。

 筆者は、在日コリアンの若い世代が多様化しつつあることは賛同するが、彼らの生き方を上記のようないくつかのタイプに類型化することに抵抗を感じている。こうした分類は、在日コリアンの生き方を単純化させると同時に、彼らの生き方やアイデンティティの変容を見失わせる危険性をもつからである。

 実際、在日コリアンの新しい世代の生き方は、「祖国志向」か、それとも「帰化志向」というか、あるいは「民族志向」か、それとも「同化志向」か、という選択のなかで浮かび上がるほど単純ではない。日本国籍を取得しても民族名を名乗って民族的に生きることを選択する者もいれば、日本人と結婚してできた子どもに、二つのルーツを大切にするために、ダブル・ネームをつける在日コリアンもいるからだ。

 彼らのなかには、日本社会の「同化」の渦に巻き込まれながらも、何らかのエスニック・シンボルにこだわりをもちながら生きている人々が少なくない。それは、ある者にとっては帰属意識かもしれないし、またある者にとっては母国語かもしれない。

 すなわち新しい世代を見ると、国籍は日本国籍を取得しても、名前では「民族」を志向する者もおり、一方、名前は日本名を名乗っていても、言葉や文化では「民族」を志向する者が少なくない。

 実際、彼らの生き方には、「共生志向」と「祖国志向」が、あるいは「個人志向」と「帰化志向」など複数の「志向」性が複雑に絡み合って競存していることが珍しくなく、また彼らが生きていく過程で「帰化志向」から「祖国志向」に転ずることもある。

 在日コリアンの新しい世代は、むしろ「同化」と「異化」、あるいは「在日」と「祖国」の狭間で、揺れ動く可変的な存在として理解することが必要である。そうした日本文化にも祖国の文化にも属さない、国境を越えた「ディアスボラ」ともいうべきかれらの可変性のなかにこそ、私たちは、日本人でも、伝統的コリアンでもない、独自のエスニック・グループとしての在日コリアンの新しい生き方の範形を読み取ることができるのではないだろうか。


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プロフィル

朴一・大阪市立大助教授

 1956年生まれ、在日韓国人3世。同志社大学大学院博士課程修了。商学博士。大阪市立大学経済学部助教授。高麗大学客員教授。NHKテレビ『アジア・マンスリー』、MBSラジオ『イブニング・レーダー』などの番組でレギュラー・コメンテーターを務め、在日問題や日韓、日朝関係ついて独自の視点から提言する。専攻は朝鮮半島の政治と経済。

(2000.01.01 民団新聞)



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