民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
新時代の同胞社会を語る<2>

■□在日同胞の商工活動■□
鄭ジェムン・桃山学院大経教授



■ベンチャーで活路開け
 在日的発想と不屈精神生かそう

 来し方を客観的にかえりみ、かつ現状を冷静に把握することなしに、新しいミレニアムの展望もおぼつかない。

 在日同胞の場合、日本人に比べて、自営業従事比率が非常に高い。「就職差別」の厚い壁による。

 自営在日同胞の従事業種について、私はこれまでいくつかの研究をものしてきた。新しいところで比較的まとまったものとしては、「在日韓国・朝鮮人企業経営の展開と展望」(『戦後日本の企業経営』所収、文眞堂、1991年)がある。

 私は、在日韓国人経済諸団体の協力を得て、統計調査(1985年2月、標本数=4061事業所)を実施した。その分析結果を上記拙稿の中で提示したのである。

 当時、在日同胞の従事業種については、世上、ひろく「パチンコ・焼肉・サラ金」と称されていた。私は、それら、いわゆる「水商売」への従事比率(約26%)が高いこともさることながら、製造業・建設業など「生産業」への従事比率(約41%)のほうがはるかに高いことを発見し、社会に向けて発信した。

 近時(1997年4月)、在日韓国商工会議所が『在日韓国人会社名鑑』(標本数=9494事業所)を刊行した。それに表れたところを見ると、1985年当時と比較して、在日同胞自営業者の従事業種に大きな変化が読みとれた。

 21世紀を直前にしての最大の変化は、製造業者の激減(二六・67%↓1211%)と、サービス業者の急増(一八・20%↓三二・85%)であった。実は製造業者の減少は、新しいことではない、長期にわたる、一貫したトレンドであった。

 その間の韓国経済の成長、東南アジアの発展、中国の市場経済化、それらは主として、加工ないし下請け製造を内容とするものであった。後進国ほど、安い人件費が強力な国際競争力の源泉となる。中国における労働者の賃金など、日本国内の50分の1とも言われる。それゆえ、在日同胞業者を含む日本国内零細製造業者たちが仕事を奪われ、淘汰されていったのも当然のことであった。

 では今後、何をしてメシを食っていけばよいのか。ひとり同胞企業にかぎらず、いまやアメリカでも韓国でも日本でも、「ベンチャー・ビジネス」(「新興企業」)に期待する声がかまびすしい。

 これまでの産業・事業では、既存の製品をどのように細工したところで、もはやカネにはならない。それが分かってきた。何よりも、消費者を追い込み、彼らの価値観(正邪・美醜・善悪その他)を変えてしまわなければならない。そのためには、購買意欲をそそる、従来にない新しい商品を創造しなければならない。

 1991年2月以来、日本の不況はいまだ出口を見出せないでいる。かつて経験したことのない長期不況である。失業率も、最悪の5%に届かんとしている。現下、とりわけ在日同胞製造業者らの苦境を思うとき、胸の痛みはおさまらない。

 しかし、私は在日同胞経済の過去と現在にてらして、その未来に対し基本的にはオプティミストである。一世商工人たちがわれわれに見せてくれた、あのバイタリティーを想起せよ。在日同胞はしぶとい民族であり、逆境に置かれて力を発揮する民族である。過去の歴史がそれを証明しており、現在の萌芽もそれを暗示している。

 現在の萌芽の代表例から指摘しよう。孫正義社長と林武志社長である。前者は、自らの起業になるソフトバンク(ベンチャー)の成功にとどまらず、ベンチャーに対するベンチャー(新興企業向け店頭市場=ナスダック・ジャパン)まで起業せんとしている。また、後者の朝日ソーラーは、社会からの度重なる袋叩きにも、なおめげない。最近も、倒産寸前からの復活が伝えられている。

 それよりも、過去の歴史に思いを転ずべし。元はと言えば、パチンコも焼肉もサラ金も、すべて在日により創始されたベンチャー・ビジネスだった。

 今も夜ごとネオンまばゆいパチンコ業界ではあるが、インベーダー・ゲームの登場はじめ、これまで何度も消滅の危機に遭遇した。しかし、不死鳥のように、それらを乗り越えてきた。

 焼肉は、戦後闇市でのホルモン焼きから始まった。かねて朝鮮半島の人々は肉食だったが、「内食」だった。つまり家庭料理だった。「外食」としての焼肉店は、在日の創業である。

 サラ金も、常識(「担保」)にとらわれなかった在日の発想である。ハイ・リスクを超えるハイ・リターンの実現は、ベンチャー・ビジネスそのものである。知恵と不屈の精神なくしてはありえなかった。

 新世紀において、在日の手になるベンチャーとして、どんなものが出てくるのか。今は少数の萌芽を見るのみであるが、やがて、次々姿を現わしてこよう。新年の初夢の中でそれらにまみえたなら、まず、読者に報告したい。


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プロフィル

ちょん・じぇむん

 1945年、奈良県生まれ。横浜市立大学商学部、ソウル大学大学院経営学科碩士課程卒業。神戸大学大学院経営学科博士後期課程単位取得満期退学。75年、桃山学院大学経営学部助教授。85年、同学教授。92年、桃山学院大学経営学部長(任期2年満了)。93年、同学大学院経営学研究科教授。96年、「統一に備えての在日同胞教育に関する研究」代表(大韓民国教育部学術研究助成・共同研究責任者)を務めた。

(2000.01.01 民団新聞)



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