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新春座談会・大阪の民族学級は今

実践者たちが語る民族学級の展望



 民族教育の機会拡大を考えた時、圧倒的多数の在日同胞子弟が日本の公立学校に学んでいるという現実を考えないわけにはいかない。とりわけ民族学級・クラブの存在とその活動ぶりは、民族社会教育の拡大を考える上で貴重な示唆を与えてくれる。大阪では民族講師の献身的な犠牲の上に子どもたちが自らの出自を肯定的に受け止めるようになり、こうしたオリニたちの視線を受け止めた保護者自身も変わっていっているという。大阪府内の民族学級講師とそれを支えている日本人教師に集まってもらい、知られざる民族学級・クラブの現状とこれからの課題について語ってもらった。


□■座談会出席者■□

守口市立第2中・民族講師 姜孝裕

大阪市生野区・民族講師 慎 香

大阪市立北巽小・民族講師 李ミンピ

東大阪同胞保護者会・会長 左龍子

大阪市立北巽小・教諭 小堀千砂子

大阪府外教・事務局長 大枝 明

司会 鄭炳采(民団大阪本部文教部副部長)


■□■□■□■□ 民族講師と地域が育てる同胞社会の次世代


◆◇◆◇◆◇
出自、ありのままに
家族の帰化申請に反旗

◆鄭◆ 大阪では民族学級で学んでいる在日韓国人の児童・生徒はと言うと大阪市だけでも1500人、府内全体では3000人に及ぶと推定されている。比率からすれば、4人に1人が民族学級で学んでいるわけだ。在日韓国人にとっての民族教育を考える時、大阪では民族学級が大きなウエイトを占めていることが分かる。こういう民族学級の持つ位置を踏まえたうえで、民族教育との関わりについて話していただきたい。

◆左◆ 私は田舎育ちで小さいころからずいぶんと差別に苦しんできたんですね。だから本名を名乗るどころか、「朝鮮」という言葉を出すことすら忌み嫌っていました。"民族教育は要らない"と拒否していた時代でした。

 ところが、私の子どもの通っていた学校には民族学級がありまして、子どもはもとより、保護者である私までも在日韓国人として生きるということを教えてもらいました。もし、民族学級がなかったらいまだに民族教育に対する拒否状態が続いていただろうと思います。

◆大枝◆ 民族学級については、一緒に生活している地に足のついた国際理解・多文化教育、あるいは多民族理解が実際に行われているところと理解しています。いろんな文化的背景を持った様々な民族と一緒に暮らしているんだということを実感として学ぶ、あるいは実感として考えることのできる存在であろうし、これからの市民社会のあり方を追求していく時になくてはならないなと思います。

◆慎◆ 生野区のノリマダンを見に行った中学1年生の女の子ですが、民族講師のサムルノリを見て初めて自分が韓国人でいてよかったと思ったんですって。それを見て彼女はこの前、民族音楽会でプチェチュムをやり遂げたんです。初めてプチェチュムを見てまず感動して、それをやり遂げた自分にまた自信を持った。

 わずか4人だけれどもクラスの友だちが見に来ていて、「すごいなあ」「きれいやなあ」「韓国ってすごいなあ」という言葉を聞いて何か得るものがあったんですね。その子の家庭では2年前から帰化申請の話が出ていて準備も進んでいたんですが、お母さんに「自分だけ帰化申請やめたらあかんかなあ」と言ったんですって。


◆◇◆◇◆◇◆◇
97年から急増へ
子と親、声そろえ設置要望

◆鄭◆ 99年度現在、大阪市だけで言うと85校に民族学級・クラブがあるんですね。91年の資料を見たら34校でしたから、8年間で2・5倍に増えていることが分かります。府内全体では170校ぐらいの取り組みがあるんじゃないでしょうか。大阪市では97年、98年と10校ぐらいずつ取り組みが増えています。95年から96年にかけては2、3校止まりでしたから、すごい増え方だなと思うんです。なぜこのように急激に伸びたのか、現場で感じることがあれば教えてほしい。

◆大枝◆ 大阪府外国人教育研究協議会(大阪府外教)は92年10月に八つの市外教で出発しました。今は関連しているだけでも24の市外教、関連していないけれど市外教組織があるのは四つ。合わせて28に上る在日外国人教育に関わる組織が各市町村で作られています。

 大阪市ではフィリピン、ペルーなど新渡日の子どもが増えていくにつれて、学校の国際化というものが始まっていくんです。

 今私たちが取り組まなければいけない多文化教育、国際理解教育といったものに目をやった時に、大阪では学校の国際化の中で必要性が見いだされてきたということは言えるんかなと思います。

◆左◆ 子どもがチョゴリを着て、目をキラキラ輝かせながら舞台発表に立ったのを見た親が、「ああよかったなあ」という思いを他の保護者に伝えた時にはその保護者も「うちの子どもにも着せたい」となるんです。子どもたちにしても「他の学校にあるのになんで私たちの学校に民族学級がないのか」と親に言う。

 このように親と子どもが一緒になって「民族学級を作ってくれ」と言っていくのが一番大きな力になるんじゃないかなと思うんです。子どもから舞台発表の場である市民会館の大勢の目の前で、「私の学校にも作ってほしい」と言われたら誰だって動かされますよね。保護者が一人のオモニを連れてくることでちっちゃな輪が少しずつ広がり、大きな力になっていったからじゃないですかね。

◆鄭◆ 大阪では90年代の前後に府費の講師が措置されていったんです。多数校が多かったんで、いま左龍子さんがおっしゃったように、口コミで広がっていったということが大きかったかもしれませんね。

◆姜◆ 守口市内ではもともと2校だったのが五校に増えた背景には、保護者の声と現場の教職員の方々の「たとえ一人でも二人でも希望する子がいたら民族学級を作ろう」という思いがありました。その基盤を作ったのは、守口市外教の主催する「ハギハッキョ(夏期学校)」や「チュギハッキョ(秋期学校)」でした。

 そこに集う子どもたちが、民族や仲間と出会う中で楽しかったないう経験を共有し、出自を肯定的にとらえるようになると、今度は民族学級に通う友だちがうらやましくてならない。自分たちももっと勉強したい、学びたいと教師や保護者に訴えかけ、保護者も声を大きくしていく。そういう広がりのなかで、先生方も子どもたちの声を大事にしようという流れになっていったからなんです。

◆慎◆ もうひとつ、やはり日本社会も変わってきているのかなと思うんです。

 最近、テレビでもグルメツアーとか韓国をテーマにした話題を取り上げることが多いですよね。自分の小学校、高校の時代でも本当に無かったんですよ。

 それが今はお鍋の宣伝に「マシイッソヨ(おいしい)」という言葉がそのまま出てくるのを見ていると、今はやはり韓国を受け入れる空気があるんだなと、ものすごく感動するしうれしいんです。

◆鄭◆ 92年に府外教ができたんですけれど、同時期に大阪市では民族講師招聘事業がスタートしている。一般的に認められるシステムも後押ししていたんではないかなと感じられる。

 民族講師も連携が密になっていった。大阪市教育委員会の指導資料集も92年ぐらいからずっと出ている。子どもも親も、行政も教員も含めてちょうどその時期に広がっていったということが一つある。それが今花開いたのではという気がします。


◆◇◆◇◆◇
高い本名使用率
仲間に支えられ平均の2倍にも

◆小堀◆ 教師の側も「目の前の子どもたちを見つめての人権教育が大事なんだ」と意識が変わってきている。子どもたち教室でオープンに自分のルーツを語れるようになった。

 民族学級でチヂミを焼いたら、教室でも「うちのおばあちゃんが焼くチヂミはこんなんや」といった会話が自然に出てくるのが大きいですね。やはり民族学級があって、その実践があるからこそじゃないですか。 もう一つ、教師の指導だけでは本名指導がしにくいというのが現状なんですけれど、民族学級で本名を呼び合っているそのままを教室に持ち込むことができるので、こちらも自然に本名を呼んであげられる。日本人の子どもたちも、そのことをあたりまえに受け止めてくれるようになった。

 そもそも本名に対する感覚そのものが、すごく変わってきているなとも思うんです。しばらく前までは、本名宣言をして、親にも了解してもらうといった特別なことがあったんですけれど、最近はそういう過程を経なくても本名が自然なものになってきている状況は大きな点ではないかなと思う。

◆鄭◆ 大阪市の資料によれば、小学校での平均的な本名使用率は13・4%なんです。ところが、北巽小のように府費の常勤講師がいるところでは23・5%と平均の2倍近い。一方、市費のクラブでは16・3%なんです。

 ところが、全然取り組みのない学校となると、8.2%でしかない。民族学級・クラブのあるなしで実に2〜3倍の格差が出ているんです。

 やはり、取り組みがあることで子どもの間に安心感が広がっていることは、データー的にも証明されている感じがします。

◆小堀◆ 北巽でも入学段階では(本名使用率が)ゼロなんです。1年生から民族学級で学ぶことで、25%まで上がっていくというのが現状なんです。

◆左◆ 私も子どもを小学校に入学させるときは通名で行かせましたの。「東大阪にはこういう指針があるんですよ。本名で行くのが原則なんですよ」と言われても、私は「日本の学校に入れたから」と断ってきました。なのに、日本人の教師が毎日のように家に来るんです。

 「民族学級は『在日』のためだけにあるんじゃないよ。日本人のためにも民族学級が必要やから。自分たち教師も変わらなければならない」。

 この言葉を聞いた時、私は「ああこんなにも『在日』のことを思ってくれる先生がいてるんや」と思いました。なにしろ、子どものころからずっといじめられて、教師に言っても"おまえ朝鮮人やからしゃあないやないか"と言われてきましたから。教師を信頼できるようにしてくれたのも民族学級なんです。

◆慎◆ やはり民族学級という存在だけでなく、日ごろのクラスの学校実践があってこそと本当にそう思います。

 民族学級では本名を呼び合っているのに、一歩外へ出たら見事に変わるんですよ。やはり子どもってすごいアンテナを張っていますよね。自分が受け止めてもらえるかどうかを。本名で輝く先輩と出会って、本名で呼び合える仲間がいて、そして日本人の先生、友だちにも仲間ができることでこの子たちが立っていけるんだと。

 保護者が民族学級に入れたくないとか、民族学級を拒否するのは、愛する心とかプライドがないわけでなくて、自分の人生経験に照らして子どもを守りたいからこそじゃないかな。

 それを日本人の先生たちは「あまり(民族への)思いが無いみたいですね」とか「本名にもあまり興味がない」と短絡的にとらえがちなんです。

 「先生、どのへんにその理由があるかと分析しはりましたか」と私は聞くんです。親がどこで変わるかといったら子どもなんですね。子どもが本名を名乗るきちんとした様子を見たとたん、親の人生も変わっていくと思います。


◆◇◆◇◆◇
民族学校との連携
教員と子どもの交流必要

◆鄭◆ 「民族学級で学んでいるから、あえて民族学校へ行かなくていい」という意見がある一方で、「日本の学校でやっていて民族教育といえるのか」という否定的な意見も一部にはある。「内容が民族講師に一任されていて、現場の教育計画の中に位置付いていない」「日本人教師が入り込む余地がない」という声も聞いた。民族学校と民族学級は互いに切り離せない関係にあると思うのだがどうか。

◆李◆ 民族教育を"10"というスパンで考えたとき民族学級はよくて"2"ぐらいやなと思っています。なんぼ頑張って一生懸命やったとしても…。民族学校にしても"五"をちょっと超えるぐらいかなと思うてます。これは在日同胞社会の分断という状況下で考えているわけです。

 たとえ"1〜2"であろうと"5〜6"であろうと"10"を目指してやっていく。そのためには民族学級と民族学校との間で教員どうし、子どもどうし交流する場面があったらいいなと思っています。

 しかし、まだ実現できていません。この学校でやっていることをどのように地域の人に伝えていくのか。そのところからつながっていく手だてを考えていくしかないのかな、とも思っています。でも10年前に比べたらお互いに関心が高まって、不十分ながら交流できる機会が増えつつあるのはいいことだと思います。

◆姜◆ 民族学校に生徒が集まりにくい原因を民族学級にのみ求めるのは、見誤りではないでしょうか。民族学級とは生徒一人ひとりの個性を尊重し伸ばしていくという公教育の一環であり、民族学級それ自体が独立しているわけではない。教育計画が民族講師に一任されているということも現状ではあり得ない。

◆李◆ 民族学校に生徒が集まりにくい状況についてはまず、学校体制のなかで入級体制を立てているのかどうかということです。学校としてやるべきことをしているのか、ということが最初にあるんじゃないかなと思います。

 私は中学校の方にも行かせてもらっていますが、そこで感じたことを申し上げます。子どもたちは対外的な発表は喜んでいきます。ところが、学校の中でやる文化祭となると身を引いてしまいます。

 客観的な評価がないのに子どもたちは果して頑張れるだろうか。集まれるのだろうか。学校体制を見直してほしいというのはここにも理由があるんです。


◆◇◆◇◆◇
民族講師会の今後
地域に深く根づく

◆鄭◆ 昨年12月9日に大阪府講師会が発足したことで、講師間の横の連携も大阪市、東大阪市というレベルから府下全域に広がった。講師会の必要性と今後目指すものを共同代表の一人、姜さんに語ってもらいたい。

◆姜◆ 民族学級を通して点在する子どもと親がつながりだした。私たち民族講師自体も教育実践や教材をどうするかで悩むことがあり、仲間どうしでつながっていこうと大阪市講師会、東大阪市講師会ができた。大阪府講師会はこれを府内全域に広げるのが大きな目標です。

 具体的には、まず教育実践の交流で私たちの力を高めていくこと、お互いにつながり助け合いながら地域に根付いていくのが第二、三つ目に教育改革の一つである「総合的な学習の時間」に私たちの教育実践を通して何らかの形で役割を果していけるような取り組みをしたいと考えております。

◆大枝◆ 民族講師会には大いに期待しています。民族講師と日本人教員との連携、民族学級とそれぞれの学校での教室との連携ということは密にしていかなければならない。そのことに大きな役割を果していってほしい。

◆鄭◆ 3月5日には豊中市で大阪府の教研集会が開かれる。民族講師会が一つの柱になっていくのかな。

◆李◆ 教育実践をしている立場からして、自分たちの生みだした成果、あるいは課題をたくさんの人に知ってもらい、共有するための場と理解していますので、私たちにとってものすごく大事な場となっています。

◆左◆ 東大阪市の講師会はこぢんまりしていて、アットホームなところがいい。でも、オリニ会しようと思うたら、大阪市からもソンセンニムに来てもらわなければならない。大阪府講師会ができて楽しみにしています。

◆鄭◆ 私たち民団はこれまで府費の常勤講師とはそれなりに連携をとってきたんですが、それ以外の講師とは不十分なところがあった。今後は府費以外の講師についても、大阪府講師会を通じて連携したいなと思います。


◆◇◆◇◆◇
「総合学習」に向けて
民族講師主導でシステムを

◆鄭◆ 2002年から実施される「総合的な学習の時間」が教育改革の目玉として話題になっている。民族講師がどう関わっていくべきなのか、または関わるべきなのかを語っていただきたい。

◆大枝◆ 小学校3年生から週3時間、年間にして105時間。現場では「健康」とか「福祉」とかいろんなことが考えられている。民族教育、民族学級の取り組みにぜひつながっていかなければならないし、活かそうと思えばいくらでも活かせるんではないでしょうか。僕たちは子どもたちに地域に出て来てもらい、韓国・朝鮮の本物の文化と出会えるようにしていきたい。

◆小堀◆ うちの学校でも3年間、国際理解教育やってきて、昨年は「総合的な学習」の取り組みをやっているんですけれども、なかなか難しいところがありますね。生野区は在日韓国人が多く住む特色ある地域ですから、お互いにそれこそ活かしていきやすい地域だと思います。

◆大枝◆ 一番どないしょかと思い迷っているのが現場なんですね。例えばフィールドワークをしてみようとか、こんな劇と歌とミュージカルをやってみようとかー。具体的なノウハウをたくさん持っていらっしゃる民族講師のほうから具体的なヒントを出してほしいですね。

◆小堀◆ そうですね。10年前ぐらい前にできた「生活科」という学科にしても、当初はそれぞれの地域実態に応じた「生活科」ということでできたんですけれど、今は教科書もあり、どこの学校でもやっているという現実があるわけですよね。

 「総合的な学習」についても、地域を見つめてカリキュラムを組まないと「生活科」と同じように母体ができてしまって、どこの学校も「環境」をテーマにして、外国のこと知ってというようなことに陥ってしまう可能性はあると思います。

◆慎◆ 私自身は学生の時、「『生活科』は今までの教科の枠を取り払って体験的に学習していくんだ」と習ったんです。けれど、現実は「理科」、「社会」とあまり変わらないんです。それはなぜかというと、そういうところに視点があるのだろうかと思うんですね。教える側の改革というか、いくら「総合的な学習の時間」を組んでも、感性、考え方、教授法が変わらなければ何も変わらない。

◆大枝◆ 現場が一から創造していくには忙しくて、なかなか難しいのは確かなんです。ですから民族講師のほうから「これいいよ」と提起していただけたらと思っているんです。

◆鄭◆ 民族講師も教員の側も「総合的な学習の時間」の活用ということでは一致しているように思います。大阪の講師会と府外教の今後の協力に期待したいと思います。


◆◇◆◇◆◇
急がれる制度保障
自助努力で生活維持

◆鄭◆ 民族講師の制度保証というと、一般的に給与面だけと見られがちだが、学校体制の中でどう位置付けられるか、実情を話していただきたい。

◆李◆ 市費で措置された講師の給与待遇は、一学期間トータルしても非常勤講師の一カ月分に届くかどうか。学校での位置付けにしても、意識的に地域での様々な行事に参加しないと名前すら覚えてくれないというのが現状です。

◆鄭◆ 府費の講師になるには教員免許が必要。生活的には何とか生活ができる程度。ところが市費になると給与は約半分。慎さんは市費ですが生活面の悩みはないんですか。

◆慎◆ 自分の人生経験と出会いに期待して来ました。お金とか生活を成り立たせようと思ったら来れなかったと思います。

 小学校で授業一コマ3850円、中学校の場合は二コマ分で6380円。時給いいじゃないかと言われそうですが、その一コマ分だけで帰るということは絶対ありえません。朝9時には学校に着いて教職員との打ち合わせ、教材の研究、家庭訪問とか…。家に帰れるのは最終。それで交通費も含めてこれですよね。

 自分は今年の場合、中学校3校、小学校2校の五校を持っているんで、月曜日から金曜日まで毎日、違う学校に行きます。月で割っても、交通費を引くと5万円にもならない。

 もちろんこれでは食べていけないので、自助努力をしているんです。その一つがキムチなどの物品販売。学校現場で毎学期ごとに販売しています。それだけでは回りませんから民族講師で劇団をつくり、学校公演をしています。これらの収益は民族講師会でプールしておき、みんなで分配します。なんとか二ケタに届く基本給を払えるよう努力しているのが現状です。

◆鄭◆ 市費の講師は、それを職業として継続していくことは難しい。生活を成り立たせるために考えられることがありますか。

◆慎◆ 民族学級の時間についてお給料をいただいているわけですが、このほか音楽や「創意工夫の時間」でチャンゴをたたいたり「サントッキ」を歌ってみる。料理もつくる。5、6年生になったら生い立ちも含めて名前のところを語るという場合があります。こうした課外実践は手当が出るかというと無いですね。

 それでもやるのは、ここには民族学級に未結集の子どももいるし、ソンセンニムと出会えるのを楽しみにしている日本人の子どももいるんですね。彼らと出会う楽しみが奪われるかもしれないと思うと、やはりお金のことは言い出しにくいですよね。それだけでも保障されたら、ずいぶんと変わるでしょうし。あと交通費ですね。

◆大枝◆ 人権教育ということでの府自体の枠組みの中で民族学級、民族講師の位置付けというものをきちっとしていく必要があるやろなと思います。

◆姜◆ 国際理解教育、多文化教育が進むにつれて、韓国・朝鮮に関わる取り組みがあるのでぜひ来てくださいとかいろいろ教えてほしいといった相談なり要請が増えていますね。私たちの実践がきっちり根付いていけば、一人では足りなくなり、二人必要になったりとかなっていくと思うんです。

◆李◆ 実際働いていること自体は府費も市費も差異はない。全体を底上げしていくため行政に制度保障を強く言っていく必要がある。それをしていける根拠となるのは自分たち民族講師の実践であり、民族講師会の存在ではないかなと思っています。

◆鄭◆ きょうは長時間、ありがとうございました。

(2000.01.01 民団新聞)



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