昨年末、ある集会の席上、顔見知りのハルモニから声をかけられた。
「私の顔覚えている?」。40年数年ぶりの再会だった。
小学生の時、隣り近所に住んでいたことがある。顔を見た瞬間、当時の懐かしい記憶が鮮やかによみがえってきた。
ハルモニは亡き父のことをよく覚えていた。話を聞くうちに、私には断片的にしか残っていなかった、若かり日ころの父の記憶を有機的に結び合わせてくれた。
「へー」と思うような意外な事実も知ることができた。
ハルモニは私にとって貴重な生き証人であり、かけがえのない語り部といえた。
父は、私が物心の付かないころに亡くなった。
朝、目を覚ましたらすでに歩いて十分ほどの仕事場に出かけていて家にはいなかった。
親子らしき会話を交わしたという覚えもない。
夕方、食事時間になると母に言われて迎えに行き、自転車の荷台に乗せてもらって一緒に家に戻るのが日課だった。私にはそんな父の後ろ姿だけが鮮明に焼き付いている。
いつのまにか馬齢を加え、父の生きてきた年齢を追い越してしまった。
わが子も、いつかなぜ自分はここにいるのか、自分のルーツはどこにあるのかを知りたいと思うようなときがくるに違いない。
そのときは、渡日以来、辛苦を乗り越え、日本社会で共に地域社会を構成してきた父祖の確かな生活史を語って聞かせたい。
そして、わが子には、日本人の隣人に父祖の生活史を語り継いでいってほしいと願っている。(P)
(2000.01.12 民団新聞)
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