民団新聞 MINDAN
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国際交流協会の在日同胞職員

21世紀の共生社会めざして



 人と人、地域と地域の国際交流及び国際協力を支援するため、20年ほど前から全国の各自治体が第三セクター方式で国際交流協会を設立・運営している。当時は「国際交流」という言葉そのものが新鮮に響いた時代だった。しかし、90年代に入ってから外国籍住民が増加すると、国際交流協会としても従来の「国際交流」概念を見直すようになってきた。いまは異なる文化を理解し合い、共に暮らす「内なる国際化」に軸足を移しつつあるかのようだ。各地の国際交流協会で多文化共生社会実現に向けて奮闘している5人の在日同胞職員に取り組みの現況を聞いた。


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文公輝さん(大阪人権博物館)

「韓国市場」を再現
歴史の掘り起こしに意欲

 大阪市浪速区の財団法人大阪人権博物館(通称・リバティ大阪、向井正館長)では85年のオープンと同時に被差別部落をはじめ、障害者、女性問題などに関する歴史資料を収集保存、広く一般に公開している。ここに在日同胞問題をテーマとする常設展示が新たに加えられたのは95年から。リニューアルオープンを期してのことだった。文公輝さん(31)は人権問題に関わる市民の推薦を受け、その担い手として採用された。

 常設展示で目立つのは、1950年代の鶴橋・韓国市場(国際マーケット)を模型で再現したもの。学芸員の資格で採用された文さんが、何度も鶴橋に足を運び、聞き取りを重ねた成果だ。当時のチマチョゴリも展示してある。

 衣料品店を経営してきたハルモニが大切に保管してきた売れ残りを文さんが偶然見つけ、安く譲ってもらった。在日同胞一世が渡日にあたって持参してきたという戦前のアイロンなどの貴重な生活用品も展示してある。採用されて初めて担当した仕事だった。

 それでも「いま考えたら不十分だし、反省点がいっぱい」と文さん。常設展示物は10年単位で全面的に見直すことになっている。期限は2005年だ。入れ替えの時には「民団などの既存団体や多くの人たちの協力を仰ぎながら、歴史の掘り起こしをしていきたい。在日同胞の語り部も置きたい」と話している。一ヵ月の利用者は延べ6000人にのぼる。ガイドボランティアは40人いるが在日同胞はいまのところ皆無という。


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金迅野さん(神奈川県国際交流協会)

新渡日者の自立支援
キャンプで不満や悩み聴く

 神奈川県でも90年代を期して新規渡日の外国人が増えだした。異なる文化や価値観を持って日本で生まれた子どもたちの多くは学校生活に適応できず、ストレスが募るばかり。将来の進路にも漠然とした不安を抱くようになっていた。

 金迅野さん(39)は財団法人神奈川県国際交流協会に採用されたばかりのころだったが、日本社会からはじき出された格好の彼ら「他者」にかつての在日韓国人の姿を重ね合わせていた。国境や人種、文化の違いを越え、誰もが人間らしく生きられる社会をつくるために国際交流協会としてどう関わるべきなのか。その答えを探すため、金さんはボランティアグループと一緒に1年間かけて討論を重ねた。

 試行錯誤の末、ボランティアグループと93年から始めたのが外国籍の子どもたちを優先した二泊3日の「エスニックキャンプ」だった。まず日本人が彼らの不満や悩みに謙虚に耳を傾けることが先だと思ったからだ。国籍はベトナム、カンボジア、中国、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、日本、在日韓国人と様々。8歳から20歳まで幅広い年齢層から毎回100人から150人余りが参加、このなかから自ら問題に立ち向かおうという勇気を持つ青少年も育っていった。

 これからの目標は在日同胞一世が生きてきた足跡を振り返る「在日歴史博物館」をつくることだという。「はるか遠い夢」だがすでに同好の士が集まりつつある。ここでも、「在日が先例をつくり、触媒の役割」を果していかなければとの思いがある。

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尹郁子さん(しまね国際センター)

韓日の子どもを結ぶ
言葉通じなくとも心は…

 尹郁子さん(31)は、財団法人「しまね国際センター」で「日韓親善島根少年の翼」を担当している。毎年8月に島根県内から児童生徒が訪韓、県と姉妹提携を結んでいる慶尚北道で少年少女の国際親善を深めているこの事業、今年で12回目を迎える。

 参加者は公募で140人ほどが選ばれる。滞在先の韓国では初対面の子どもたち同士、言葉は通じなくてもなんとか意志疎通だけは図っている。尹さんは子どもたちの草の根交流から、「言葉は通じなくても心は通じる」と教えられたという。この交流しようとの気持ちこそ真の国際交流というのが尹さんなりの結論だ。

 「ともすると『国際交流=英語』と安易に考えがちではないでしょうか。これでは英語のできる日本人と英語圏の交流であり、真の国際交流ではありません。これを『少年の翼』に参加してくれた子どもたちが教えてくれました」


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鄭昌根さん(京都市国際交流協会)

「在日」テーマに啓発
市職員の研修の場にも

 在日同胞問題をメーンにした「チョゴリと着物〜共生のために〜」と題した連続フォーラムは、鄭昌根さん(32)のアイディアで93年から始まった。いまでは財団法人京都市国際交流協会の年間恒例行事として定着した感がある。

 パネリストには在日同胞と日本人、さらに本国からの留学生も加わる。論議は三者三様、必ずしもかみ合うわけではないが、争点を際だたせるうえでは効果的だったようだ。市民からは「継続を」との声が多く上がり、いまでは年4回のシリーズとなっている。同フォーラムは京都市職員の研修の場ともなっている。

 このフーラムは、特殊な歴史的背景のもと、日本で永住するようになった在日同胞の存在を市民に理解してもらうのが目的。特に一世の渡日史を取り上げたときは会場から「初めて知った」という声も多く聞かれるなど、大きな反響を呼んだ。今年第1回目のテーマは「国籍と進学について」(高校生)で、午後2時から京都市国際交流協会で開催する。

 鄭さんは90年3月に韓国から留学のため来日したが、翌年から京都市国際交流協会に勤務している。外国人職員は現在、鄭さんだけ。大きな変化は在日同胞と日本人、本国の留学生の間でネットワークができたことだろう。三者を結ぶ架け橋役としても鄭さんの果している役割は大きい。

(2000.01.12 民団新聞)



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