民団新聞 MINDAN
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在日へのメッセージ

「在日の不幸」の原点
石高健次(朝日放送報道プロデューサー)



 昨年暮れ、大阪市内で北朝鮮帰国事業四十周年の記念集会が開かれ、一本の劇映画が上映された。事業開始の翌1960年に制作された「海を渡る友情」だ。

 食堂を営みながら慎ましく暮らす一家が迷いながらも北朝鮮への永住帰国を決意する。在日朝鮮人であることを初めて明かし、希望に燃えて北朝鮮へと向かうところで映画は終わる。

 私のすぐ後ろの席に、帰国者の兄を85年スパイ容疑で銃殺された在日朝鮮人女性がいた。会場に灯りがともって旧知の彼女と目が合うと「みんな、騙されたんやね」とポツリと言った。その顔に出口のない悔しさがにじんでいた。会場の誰もがすすり泣いていた。

 そのとき私が強く感じたのは、人間とはこうまで幻想の虜(とりこ)になってしまう存在なのかということだった。少なくともあの時代の在日は……。それによって人生を破滅に至らしめることになる幻想に突き進んでいった帰国者たち。

 日本での差別から逃れ、社会主義祖国を建設するとは、それほどまでに魅力的なものだったということなのか。

 集会には当時北朝鮮政府にあって帰国者受け入れの実務責任者だった人物が亡命先の韓国から招かれ、圧殺について講演した。帰国者9万3000人。当時の在日コリアンの実に6人に1人だ。その二割近くが行方不明だという。

 地上の楽園といわれたその国で、言いたいことを言えば収容所に送られ、拷問で殺され、今も飢えている。

 もうひとつ、帰国者の悲劇の奥深さは、彼らが未だに人質であるということだ。日本人拉致事件では、スパイが帰国者の写真や手紙を懐に日本へセン入、身内を脅して犯罪に加担させている。また、在日の多くが生活物資を送り続けているうえに、北に対して言いたいことも言えないでいる。

 会場にいた初老の男性が私に言った。

「あの帰国事業が在日の不幸の出発点なんです」

 事業の主体となった総連は、行方不明者の調査を本国に要請すべきだ。

(2000.02.09 民団新聞)



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