民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
民族学級の昨日、今日

<4>「総合学習」への期待



生野区御幸森商店街、通称“コリアタウン”
で行われた「総合学習」
(大阪市内の公立小学校5年生)

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教育現場で自由に課題設定
人権教育導入の契機に

カギ握る民族講師の位置づけ

 2002年からの新学習指導要領の実施を控え、学校現場ではいま、準備に忙しい。特に注目を集めているのは、「総合的な学習の時間(以下、総合学習)」の導入だ。この「総合学習」を危機が叫ばれる学校再生のきっかけにしたいと多くの教育関係者らが考えている。実は私も、この「総合学習」に期待を寄せる一人である。

 「総合学習」とは、学校や地域の実態、子どもの関心に合わせて「国際理解、情報、環境、福祉、健康などの横断的・総合的」な学習を行うというもの。教科学習の内容を3割削減、小学校なら(3年生以上)年間百五〜120時間を、中学校なら選択科目に応じて70〜130時間を「総合学習」に充てる。

 簡単に言えば、学校や学年ごとに課題を決め、これまでの教科学習の領域を越えた、自由学習に取り組む時間である。この学習で重要なことは、「学校」「地域」「子どもの関心」から出発するということだ。

 これまでのように、細かに教科目的や方法が拘束されることはない。むしろ目的や方法自体を自分たちが探し出し、「自ら考える学習」を推し進めようというものである。これまでは文部省を頂点に地方教育委員会を経て、細かく指導を受けてきた。そうした教育現場にあって、学校の独自性や地域の実態に鑑みた学校づくりを認めるということで評価に値する。

 ここでは省略するが、「時間割り編成の自由化」も盛り込まれていることと含め、学校が再生する絶好の機会として生かしていく必要がある。一方、指導要領の例示の中で、「人権教育」が省かれていることには不満を持つ。首相を本部長とする「人権教育のための国連10年推進本部」があり、97年には国内行動計画も策定されている。

 なぜ「例示」から「人権教育」が省かれたのか、認識を問いたい。私が期待するのは、この「総合学習」の中で、民族教育を軸に「ちがいを認め、育む」人権教育を学校に根付かせたいと考えるからである。

 来年度からの移行期間を先取りし、いくつかの学校ではすでに「総合学習」を始めている。数日前にも、大阪市内のある小学校5年生を対象に「総合学習」をコーディネートした。この小学校には民族学級があり、人権教育の柱に民族教育が位置付いている。その日は民族講師と共に、大阪市生野区のコリアタウンを舞台に、商店街の協力も得て学習に取り組んだ。子どもたちは、グループごとに各商店を回り、一般の市場では売っていない韓国・朝鮮の食材やコリアタウンの形成史について地元の人々から聞き、中には味見をさせてもらった子どもたちもいた。

 この小学校の同胞児童在籍数は少なく、また、すべてが民族学級に在籍しているわけでもない、しかし、民族学級と原学級(各クラス)をつなぐ形で、民族講師が事前学習から学年に関わり、全体の子どもたちとの接点を持ちながら、民族学級に籍を置いていない子どもたちとも関係づくりを図ってきた。子どもたちのニーズに合わした取り組みの一端である。

 地域に開かれた新しい学校づくりへの模索が始まっている。"教室"で"教員"と"子どもたちだけ"が向き合うという関係から、学校を「多文化」化し、多様な背景を持つ人々が位置付き、子どもたちもまた学校から飛び出し、地域全体を学びの場とする。新しい学校づくりは、そこに視点を置いている。

 同胞の子どもたちの民族教育が保障され、民族講師が学校に位置付けば「多文化の学校づくり」のステップにつながり、地域に暮らす在日韓国・朝鮮人が"語りべ"として活かされれば、人権教育にも広がりが出る。

 「総合学習」の成功は、教員自身の「面白いことをやろう」という意欲と多様な教育力の活用がかぎと言え、民族講師が学校に位置付くことはその試金石となりそうである。

 この機会に、私たち同胞も主人公になれる学校づくりをめざしてはと思う。どうだろうか?

(民族教育促進協議会事務局次長)

(2000.02.09 民団新聞)



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