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サハリン同胞が永住帰国

安山の専用団地で余生



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60年ぶりの故国の地に感無量

 旧正月を3日前にした2日午後、サハリン同胞118人が韓国に永住帰国した。

 金浦空港のタラップを下りたサハリン同胞の陳ギョンホさん(72)は「60年ぶりに故国の地を踏み、思い残すことはありません」と立ち止まり、涙を流しながら、祖国への一声を述べた。

 「異国の地で言葉では言い表せない苦労をしながら生きてきました。幼いころ、故郷の群山で食べた塩辛を食べたい」と語る陳さんのやせ老いた手につかまった夫人の朴スンナムさん(75)も涙を流していた。


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「故郷の塩辛食べたい」

 この日帰国したのは、日帝時代の植民地支配によって、酷寒のロシアに強制徴用されたあと、サハリン炭鉱や軍事基地建設現場に労働者として強制徴用されたサハリン同胞一世の老夫婦四十七組と独身の老婆26人。

 帰国したサハリン同胞は、韓国政府と日本政府によって立てられた京畿道安山の「サハリン同胞アパート」で余生を送る。

 最高齢の金ヨンチュルさん(90)は「両親の墓参りをしたい」と話した。

 57年ぶりに帰国した南チルジョさん(70)は、7年前に一足先に帰国した妹の南クンスンさん(65)と手をつないで「毎晩私たち兄妹が韓国で暮らす夢を見た。それが現実になる」と声を詰まらせた。


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「楽しみだったKBSが毎日見られる」

 帰国したサハリン同胞のほとんどは、1938年4月、日本が制定した「国家総動員法」によってサハリン炭鉱や軍事基地建設現場に労働者として強制徴用された同胞とその子女だ。

 中には、「いつか故郷に戻る」という望郷の思いでロシア国籍を取得せず、無国籍者のまま終生を送った人も多くいる。

 日帝時代、主に現在の韓国側で徴用したため、この日帰国した同胞の故郷のほとんどが全羅道と忠清道だ。

 金サンスンさん(66)は新しい生活地である安山のアパートで、居間に置かれたテレビを見ながら「故国の消息が気になり毎晩KBSラジオの国際放送を楽しみに聴いた。これからは毎日、テレビが見られる」と笑顔たっぷり。


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三月末までに約1000人が帰国

 22坪型アパート八棟、489世帯の入居が可能な「専用団地」は韓国政府が敷地を、日本政府が26億円の工事費を負担し、昨年末に完工した。

 この団地には、この日永住帰国した第一次118人をはじめ、3月末までに帰国する967人のサハリン同胞永住帰国者が入居する。

(2000.02.09 民団新聞)



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