民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
<わが街、ウリ支部>

民団京都・上京支部
ボウリングなどで多世代団員の交流



鄭鉉文・支団長

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全団員宅戸別訪問を展開中
支部会計、ガラス張りで信頼度アップ

 日本の平安時代以来、高級織物として名高い西陣織で知られる地域を管轄する。西陣の由来は、応仁の乱(1467年)に西軍が陣を敷いた所から来ている。

 解放前は西陣織の織工として従事した同胞が多く、解放後は手に技術を持っていた同胞らが西陣織で大きくもうけたという。物資不足で物がない中、柳行李に百円札を詰めた販売業者が押し掛けた時期もあるという。しかし、創業は易く守りは堅く、世相が落ち着く中で同胞織物業者の影響力は弱くなっていった。多くが遊戯業や建設業へ転職していった。

 しかし西陣織が京都における同胞商工人の基を開かせた功績は大きい。

 現在同支部では、団員とのつながりをより深めるために戸別訪問を続けている。95年度から四期にわたって減少し続ける団費収入に歯止めを掛けたいからだ。日本の長期不況の中で、打撃を受けた織物、染色業の落ち込みが団費にも反映していると見ている。

4階建ての支部会館

 そのため、97年に就任した鄭鉉文支団長(68)は、全団員宅の戸別訪問を約束した。今年1月までに実質600軒の団員世帯の内、431軒を巡回した。民団からのメッセージと粗品の石鹸を携えて。

 戸別訪問を続ける中で、年輩層の民団への親しみと愛郷心に比して、民団自体を知らない若い層の対比に驚いたという。そこから民団の行事を紹介した広報誌「民団上京」を全世帯に送付している。また団長が訪問することで、団費集金も少しはスムーズになったのではないかという。

 「比較的裕福でない層、すなわち社会的弱者は民団に対する思い入れと援助を求めていることを知った」と戸別訪問を続ける意義を語る。

 また、支部の会計を、主要科目の明細も含めて全てガラス張りにした。団員の信頼を得るためには、特に交際費や行事費が何に使われているかを明らかにすることだった。「どこからいくら入ってきて、何にいくら使ったのか。団員の批判にさらしてもらおう」と三機関、執行部と協議して初めて公にした。

 団員の冠婚葬祭についても完全な規定を作った。誰であれ団員であれば共通の慶弔費を支出する、という姿勢を貫いた。支部からの弔慰金などには個人名は入れず、支部名だけ。

 鄭支団長は、上下水道の設計にたずさわる日本の会社に勤めて12年を過ごした民団社会の中ではユニークな経歴を持つ。その後、独立するのだが、その過程で経理のガラス張り、信頼関係構築など社会ルールとマナー確立をめざしてきた。

 民団はただの奉仕でなく「義務を伴う奉仕」という視点を持つ。役員構成も若返らせた。会議も必ず議事録を取る。「団体を運営するためにはきちんとしなければ2世3世の時代には通用しない」という信念を持つからだ。

支部事務所

 団員のための年間行事も花見、ボウリング大会など多岐にわたる。花見は毎年150人ほどが参加する人気行事だ。


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支部略歴

 1948年9月に結成された。朝鮮人連盟が圧倒的に強かった地区で、支部事務所は転々とした。現在の支部会館は91年9月に完成した鉄筋四階建ての堂々としたもの。団員は823世帯、約3000人を要する、京都では上位四番目に位置する支部。

(2000.02.16 民団新聞)



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