民団新聞 MINDAN
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民族学級の昨日、今日

<6>外部の偏見と誤解



小学校校内の民族学級発表会(大阪市内)。
人権教育の一環として民族教育を
位置づける学校は増えている

「旧態依然」「民族講師に丸投げ」
人権教育の観点から遊離
「共生教育」は正規過程内で保障を

 先日あるシンポジウムの場において、「民族学級では30年前の民族教育をいまだにしている」「民族学級の運営が民族講師に一任され、教育が丸なげされている」「民族学級に日本人の子どもを参加させ共生教育を行うべきだ」。一方、かつては、「民族学級ではチャンゴをたたかせ、チマチョゴリを着せ、まるで着せ替え人形」などの意見があった。


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現実無視の議論

 子どもたちの教育を真剣に議論し、よりよい教育を目指そうという試みは、今を生きる私たちの責務であり、私自身も当事者として大いに議論に参加したい。しかし、一方で、議論は現実を踏まえたものであるべきだとも思っている。

 公立学校における民族教育に課題があることは私も認識しているが、しかし、「民族学級のあり方を見直せ」「民族学級はない方がいい」という"紋切り型"の議論にはなかなか参加できない。大切なことは、学校教育において、いかに民族教育を根付かせるかという建設的な議論であろう。諸々の制約制限

 ▼「民族学級の運営が民族講師に一任、教育が丸なげされている」というが、現在の民族学級についての根本的な理解が不足しているように思われる。民族学級が学校の中で位置付き、安定的に取り組まれている学校のほうが絶対的に少ない。

 むしろ、教職員の中にも"日本の学校でなぜ民族教育なのか?"と、とらえている人も少なくない。"一任、丸なげ"どころか、民族学級が学校の事情で実施できない、教室が使えない、クラブ活動が優先されるといったケースがどれほど多いか。"一任"されるほどの制度的位置付けはない。

 ▼「民族学級では30年前の民族教育をいまだにしている」ー。

 30年前と言えば、大阪には10校に11人の民族講師しかおられず、うち数校でしか民族学級は取り組まれていなかった。当時のソンセンニムたちが、どのように取り組まれたのかは知らないが、当時おられた民族講師のソンセンニムたちから私たちが学ぶべきことは多いだろう。30年前の民族教育とは何を指すのかを知りたい。当時のソンセンニムたちにも失礼に感じられる。

 ▼「民族学級では…まるで着せ替え人形」ー。

 これほど子どもたちの視点に立っていない表現はないだろう。多くの同胞の子どもたちが、民族衣装に袖を通し、民族楽器にたどりつくまでにどれだけ多くの葛藤を経験し、どれだけの取り組みが必要か。ようやく大きなステップを踏んだ子どもたちを「着せ替え人形」に例えることは、教育者の表現ではない。

 同胞の子どもたちが、民族文化に親しみ、学内発表会や校外発表会に参加し、民族として生きる、ありのままの自分として生きることを表現する。このことがまるで無意味であるかのような発言は実にもの悲しく聞こえる。

 ▼「民族学級に日本人の子どもたちを入れて共生教育を」ー。

 私は、日本人の子どもたちが韓国・朝鮮について学ぶことを"権利"として保障すべきだと考えている。どんどん韓日関係が近くなる今日、"韓国・朝鮮"を知らないことはこの社会の欠陥とも言える。

 しかし、その教育を民族学級で行うことの意味がわからない。民族学級は、課外で取り組まれ、かつ週一度程度しか保障されていない。韓国・朝鮮について日本人の子どもたちが学ぶことは、民族学級ではなく、学校生活の大半を過ごす教育課程内の中で学校全体の課題として保障されるべきである。共生教育の課題は「民族学級」のレベルの話ではなく、まさに教育全体の課題である。


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同胞と出会う場

 民族学級は、普段意識的に出会うことの少ない同胞どうしがつながる場であり、同胞の子どもたちのお互いを支え合う関係は、学校を変える発信点になっていく。

 人権教育は「人権および人権問題を理解する教育」「教育を受ける権利の保障」「人権尊重された教育」の3つの柱からなると言われるが、"共生教育"が、個別課題を「ごちゃまぜ」にする教育として考えられているとすれば、本来の人権教育の観点からかけ離れていると指摘せざるをえない。

(金光敏・民族教育促進協議会事務局次長)

(2000.02.23 民団新聞)



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