民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
サハリン同胞の永住帰国実現

帰還運動関係者が集い



帰還運動に携わった関係者が
一堂に会した集い

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42年間の足跡ふり返る
離散家族や帰国後の生活
新たな問題の解決へ継続運動

 韓国への永住を希望しているサハリン残留韓国人が3月中には残らず帰還できるようになったのを受けて、これまで草の根レベルで帰還運動に携わってきた関係者一同が16日、都内で「集い」を開き、朴魯学氏らが「樺太帰還在日韓国人会」を立ち上げて以来42年間にわたる取り組みを振り返った。この間、思い半ばにして亡くなった担い手も多く、出席者は会場に設置された7人の遺影に対して残された課題の解決に全力を尽くすと誓い合った。

 この日の「集い」の発起人の一人で、76年から運動に関わってきた大沼保昭東大教授は「なぜこれほど無駄な時間がかかったのか。言葉にできない」と絶句した。

 日本の国家総動員政策に基づいて韓半島からサハリン(旧南樺太)に労働力として強制連行され、置き去りにされたままの韓国人。解放直後の段階でも、その数は4万3000人を数えた。当時、20歳から40歳までの働き盛りだった。この多くは望郷の念をかなえることなく、異郷の地で倒れた。生存者も高齢化が進んでいる。この中から永住帰国を望む407世帯、約817人の一世すべてが、3月までには里帰りを果たす。この間、約62年間の月日が流れたことになる。

 李羲八さん(在日樺太帰還韓国人会会長)は「集い」の席上、「あまりに遅すぎたとの思いがある」とそっと目頭をぬぐった。李さんが運動を共にした初代会長の朴魯学氏はすでに亡く、帰還がかなった喜びよりは無念の気持ちのほうが強いようだ。

 会場には「サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会」事務局長を務めた五十嵐広三・元官房長官、日本政府が韓国にアパート・療養院を建設しようとして32億円を拠出した当時の村山富市元首相、議員懇の一員で民主党代表の鳩山由起夫氏ら70人が顔をそろえた。また駐日韓国大使館からは兪炳宇政務公使が出席した。

 五十嵐元官房長官は「当面の課題がここまで成し遂げられたことには感謝したい」としながら、「まだ沢山の問題が残されている」とも述べた。例えば、永住帰国者がサハリンに家族を残しているため発生した新たな離散家族問題。さらに帰国後は、生活上の不安も抱えている。韓国政府からは現在、月額45万ウォンの生活支援金が支給されているが、十分とはいえないという。

 32年間の長きに渡って帰還裁判・補償裁判に関わるとともに、サハリンからの延べ1000人に上る1時帰国者の世話にあたってきた高木健一弁護士は「韓国に家族がいてもこれまで受け入れてもらえなかった永住希望帰国者が、今回受け入れられ、住宅が整うことでほぼ全員、祖国での永住の願いを実現する。一歩、一歩階段を上り、ようやく9段目にたどり着いた心境だ。残る10段目も1、2年内には完成させたい」と決意を新たにしていた。


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生活支援などを日赤に要請

 「サハリン残留韓国人永住帰還の集い」に参加したサハリン州韓人老人会の全相周会長、サハリン州韓人会の朴海龍会長、ハバロフスク離散家族会の李柱鶴会長、中蘇離散家族会の李斗勲会長らは16日、日本外務省と日本赤十字社を訪ね、永住帰国後の生活支援及び家族再会への支援などを要請した。

 日本外務省では河野外相が応対、検討を約束した。

(2000.02.23 民団新聞)



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