民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
朝鮮総連同胞の母国訪問団・随行記

郷愁の念、1世の思い察して



■□
気兼ねない2世世代
祖国のとらえ方に機微

 年間200万人以上の日本人観光客が訪れる日本からもっとも近い国。成田空港から飛行機に乗り2時間弱で着く韓国。

 しかし、こんなに近く、短時間で訪れることができる母国への道のりが、朝鮮総連系の人たちにとってはどんなに切なく、またどんなに遠かったのであったろうか。解放後、半世紀以上が過ぎた今でも、胸の奥深くに眠っている幼い時の微かな思い出を淡々と語るハラボジは、70年ぶりに母国を訪問、故郷の親類と対面するという。このハラボジが、幼い時に比べてあまりにも発展を遂げた母国の姿を目の当たりにして喜ぶのか、それとも昔の面影を思い出して悲しむのかは私にもわからなかった。

 このハラボジと一緒に母国の土を踏むことを心より待ち望んでいた私にとっては、飛行機の中でもいたたまれない思いであった。年間四、5回も韓国を訪問している私にとっても、今回だけは窓の外から姿をあらわす母国の山々や野原、アパートなどが妙に新鮮に映った。飛行機はいよいよ金浦空港に到着した。

 一行は出迎えのバスに乗り、バスガイドの説明を聞きながらまわりの風景を眺めた。夕暮れのソウルの漢江をバスの中からじっと眺めるハラボジ・ハルモニたちはどういう思いだろう?

 解放の喜びはつかの間、同じ民族が思想によって南北に引き裂かれ、血を流した戦争。植民地時代と戦後、日本社会での韓国・朝鮮人に対する差別と蔑視が嵐のように吹き荒れる中、数々の苦難を力強く乗り越えながら悲しみを胸の内にひそめ耐え忍んだハラボジ・ハルモニたち。初めての母国訪問に対してそれぞれの歩んだ人生の重みによって感じ方もまた違うだろう。

 私はただ一人思いめぐらすだけで、外の風景をじっと眺めているハラボジ・ハルモニたちに声をかけることができなかった。

 一方、日本で生まれた若い世代の、母国に対する受け取り方は、まったくと言っていいほど違うことも感じとられた。

 漢江の上をゆっくりと進む遊覧船の上で、私が夕暮れ時の風景を眺めていたら、向こうから若い参加者が私に声を掛けてきた。だれもいない砂漠の中でぽつんと一人でいる時に突然、人が現われたような嬉しさが私の心をよぎった。

 日本語で話しかけると、ウリマルをもっと学びたいのでウリマルで話してくれと言われ、私は感心しながら出来るかぎりゆっくりとウリマルで話し合った。

 私は自分が知ってるかぎりの韓国を語り、彼らはありのままの韓国を非常に素直に受け入れているような感じを受けた。実際、韓国を見てどのように感じたのかという私の質問に、「思っていた通り」という返事が返ってきた。

 思ったとおりとは?

 日本のマスメディアに出てる通りだということ。日本のマスメディアで連日のように流れる韓国のショッピング、グルメ、ソウルの街並みなどの情報が画面から抜け出した感じだという。

 話が盛り上がり、ぜひ韓国で今一番流行っている夜の東大門市場に連れていってくれと頼まれて、私はガイドになった気分でその夜、一緒に東大門市場にくりだした。

 夜11時を過ぎた東大門市場の人ごみと豊富な品揃えに、予想していたとはいえ、驚きを隠さない。しかし、すぐその雰囲気に慣れ、子供がおもちゃを見るかのようにあっちこっちの店を興味深く回り、慣れないウリマルで、アジュンマと丁々発止のやり取りを交わしながら、買い物する姿には逆に驚かされた。

 なに一つ気兼ねせず、堂々としたそのそぶりに私はただただ感服するばかり。

 真夜中のショッピングも終え冷たいビールを飲み、虚心坦懐にいろんな話を交わしながら、私は思った。この素敵な出会いの中に、在日同胞社会の和合への道が隠されていると。

 一世は生まれ故郷として、そして二世三世は祖国、母国として、それぞれの思いが交錯する母国訪問団であった。

朴相泓(民団中央・組織局)

(2000.03.08 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ