民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
民族学級の昨日、今日

<7>進路保障



白頭学院、金剛学園をはじめ、朝鮮学校、
大阪市立御幸森小学校の児童らが出演した
昨年の「ワン・コリア・フェスティバル」

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日本企業に根強い就職差別本名で働ける社会を
同胞社会も襟、正さねば…

 「採用されなかった会社の中で、韓国籍を書いた履歴書を見せると面接官の態度が変わった(高卒)」「集団面接で私だけ何の質問もされなかった(高卒)」「民族名で働くことを拒否された(短大卒)」「(国籍を記入した)履歴書で判断された(短大卒)」「本名で資料請求すると会社案内が送られないことが多い(大学卒)」「入社試験の際に本籍がわかった時点で試験を受けることを拒んだ企業が2社あった(大学卒)」「国籍が日本でないという理由で不採用(大学卒)」。

 教育において大切なことはいくつかあるが、その中でも、進路保障の問題は、当事者の将来に直接関わる大きな問題だろう。ことがうまく運べば希望を持って社会に出るいいチャンスになるが、時には残酷なほどに深刻な事態を招くことだってある。

 上に紹介した事例は、大阪府教育委員会が4年間にわたって行った外国籍生徒の進路追跡調査の結果、明らかになった就職差別の実例である。

 これらの実例を見ても、在日韓国・朝鮮人生徒に対する就職差別はいまだ存在していること、しかも、その根の深さがあらためてわかる。

 民族教育の保障は、進路保障の取り組みと表裏一体であると言える。学校教育における民族教育の機会保障と同時に、自らの可能性を見い出した子どもたちが、どこの職場や社会でも自らをありのまま表現し、時には、「韓国・朝鮮」とつながっていることを将来、選択の機会に活かす。こういった進路保障の取り組みは、同胞社会の今後にも関わってくる。

 先日、大阪府寝屋川市に住むある同胞学生と話した。彼女は中学1年生のときから地域の「ハギハッキョ(夏期学校)」に参加している。このことがきっかけで、同胞社会との接点を持ち始めた子だった。

 私は当時、この「ハギハッキョ」の民族講師として関わっていた。行動的な性格の彼女は、大学進学と同時に本名を名乗り、勉強にバイトに、そして恋愛に、大学生活をおう歌して、いま来春の卒業を控えている。彼女から聞いたのは、本名で就職が決まったという報告だった。本名での中堅証券会社への就職が決まり、内定式も終えたところだという。

 進路が決まったためか、いつもより声は明るく、はきはきと話す彼女の声から、新社会人として元気で働く姿が思い浮かび、私の心はうれしくなった。

 冒頭で上げた就職差別の一方、本人の能力のみを重視する企業も出てきているようだ。比較的大きな企業でこういった採用形態が根付いてきているということも聞くが、これらの企業のなかにも、かつては就職差別を起こし、人権団体から糾弾され、その是正を企業の社会的責任として負わされたところも多い。

 また、ボーダーレス時代の到来に生き残りをかけ、就職差別で多様な人材の確保を阻害するのではなく、"人権"の視点はさておいても、むしろマジョリティにない発想や独創性をマイノリティに求める傾向もあると聞く。

 ただ、やはり、「国籍」や「民族名」を理由に採用を拒む企業は少なくない。民族団体はもっと産業界に就職差別の是正を求めるべきであり、本名(民族名)で働くことの社会的な価値を広めるべきである。いやむしろ同胞社会に関係するすべての企業がまず、本名で働く人々を増やし、産業界をより開かれた社会にするための先駆けになるべきだ。

 民族教育を経た生徒たちの就職の課題に関わりながら、いつもむなしく思うのは、同胞企業自体が本名就職についての認識が低いということである。

 よく商銀や関西興銀職員の日本名使用が問題提起されているが、民族社会に直接つながる場所からもっと本名で働ける、また働く環境や意識を持たないと、いつまで経っても、本名で生きることが特別なことのようにとらえられ、本名で生きることの意義が広がっていかない。

 教育現場で本名の意義を説きながら、片方では、民族団体でさえも日本名を呼び合っている。この実態を子どもたちにどう説明すればいいのだろうか。

 民団の皆さん、地方参政権の実現と同時に、本名を呼び名乗る社会を今世紀中に作り出しませんか?子どもたちが見ていますよ。

(金光敏・民族教育促進協議会事務局次長)

(2000.03.15 民団新聞)



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