民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
辛容祥執行部6年の軌跡



辛容祥団長は就任以来、
地方参政権獲得運動を
最重点課題として取り組み、
全力で要望活動を展開してきた

◆地方参政権運動、最優先に掲げ出帆

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1994年

◆共生の象徴、参政権

 94年4月に出帆した辛容祥執行部は、創団以来の民団の名称から「居留」をはずして日本定住を鮮明にするとともに、「共生・共栄」の象徴として地方参政権獲得運動を最優先課題に掲げた。


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1995年

◆阪神大震災で国境超えた救援活動

 95年1月の「阪神大震災」は、在日同胞130人を含む5400余人の命を奪う惨事となった。中央本部では震災直後に対策本部を設置して被災者の救援活動を展開し、全国から寄せられた約6億4800万円の義援金を遺族への慰労や負傷者の治療、被災子女の学費補助金に活用した。

 また、「共生」の一助にと、救援物資を日本人被災者にも差し伸べたのをはじめ、兵庫県庁に5000万円を伝達した。地元の兵庫県本部に設置された「対策本部」では、延べ1580人もの活動者が約6000世帯の同胞宅を戸別訪問して被災者を慰労し、同胞弁護士らが無料生活相談を実施した。


韓日の架け橋的存在として、
辛容祥団長はJAWOC
特別顧問として招へいされた

◆地方参政権運動に弾み

 95年2月、最高裁は「定住外国人への地方選挙権付与は、憲法上禁止されていない」との判決を出した。6月に民団は各政党と有識者を招き、初の「参政権シンポジウム」を開催した。この年、神奈川県の全自治体をはじめ、全国の八百近い地方議会が意見書を採択し、運動が大きく進展した。


◆光復50年、韓日国交30年

 祖国の植民地支配からの解放を祝う光復節の50周年と韓日国交正常化30周年の祝賀会を8月、東京で内外人士約1300人を集めて盛大に開いた。


◆ブライダル事業開始

 「出会い・ときめき・夢」をキャッチフレーズに、民団と婦人会、青年会の3団体共催による初のブライダルパーティが11月に東京、12月に金沢で開かれた。「出会いの場」が少ない同胞青年に「貴重な場」を提供した。


2万人の団員らが集う中、
「共生」を大々的にアピールした、
民団創団50周年式典

◆「共生・共栄」見据え、架け橋的役割も


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1996年

◆W杯が韓日共催へ

 2002年のサッカーのワールドカップが96年5月、韓日共催に決まった。史上初の共催に、民団では「韓日間に横たわる心の壁を払拭する一大契機」と歓迎のコメントを発表した。


◆夏季学校が30周年

 夏休みを利用して自分のルーツをたどり、生きた民族素養を身につける夏期学校が、この夏、30周年を迎えた。韓日国交正常化を契機に始まり、これまで約1万5000人の同胞学生・生徒が母国で学んでいる。


◆創団50年で第2の飛躍

 「ともに生き、ともに創り、ともにはぐくもう」をスローガンに、10月、東京の代々木体育館で「創団50周年記念中央大祝祭」が開催され、全国から2万人を超える同胞らが一同に会した。185年ぶりに再現された「朝鮮通信使」パレードは、東京の繁華街で「共生・共栄」を盛んにアピールした。また、民団組織と同胞団員を有機的につなぐ「組織活性化120日運動」を展開し、参政権運動の推進など共通認識を深化させた。


◆地方行政に外国人の声

 参政権のない外国人市民に市政参加の道を開く、全国初の試みとして川崎市は12月、「外国人市民代表者会議」をスタートさせた。


金大中大統領の歴史的な公式訪日で、
在日同胞を代表して
歓迎あいさつを述べる辛容祥団長

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1997年

◆共生のパレード、堂々と

 地方参政権の実現と国籍条項の撤廃を求める婦人会、青年会、学生会による「共生パレード」が2月、東京で実施された。


◆2期目出帆と120日運動

 3月の大会で再選を果たした辛容祥執行部は、6月から「参政権獲得・同胞和合120日間運動」を展開した。

 同胞宅を戸別訪問し、参政権の署名を求める運動では、全国7万世帯の訪問と20万人以上の署名獲得がなされた。


◆東京都も外国人会議

 川崎市に続いて東京都でも11月、「外国人都民会議」が設置された。在日同胞4人を含む25人が選ばれた。


◆外貨送金で本国の経済危機支援

 国際通貨基金(IMF)から総額550億ドルの緊急支援を受けた本国の金融危機を、在日同胞の立場から支援しようと、12月に同胞一世帯につき一口10万円以上の外貨送金運動を決めた。総額100億円の目標は約780億円に達した。


◆初の在日就職説明会

 厳しい就職難にある同胞青年に就職の機会をと、民団は12月に在日韓国商工会議所と合同で在日同胞企業就職説明会を開いた。


本国の経済危機では、全国の団員に
「外貨送金・預金」を呼びかけた

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1998年

◆韓国、「国民の政府」が出帆

 韓国第十五代の金大中大統領が2月に就任し、「国民の政府」はIMF時代の「国難克服と再跳躍の新時代を開く」と力強く述べた。


◆民族大学が東京に常設

 韓国語や韓国の歴史・文化をはじめ、在日同胞の課題などを体系的に学ぶ講座制「民族大学」の常設教室、「東京コリアンアカデミー」が6月に開講した。


◆W杯で韓日共同応援団

 在日同胞と日本人がサッカーのフランスW杯大会を一緒に応援する「ふれあい共同応援団」が、6月に構成された。

 「2002年の成功のためには、民間交流が不可欠」と在日大韓体育会が企画したもので、初の画期的な試み。


◆金大統領の歴史的訪日

 10月7日から3泊4日の公式日程中、金大中大統領は小渕首相と共同宣言「21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップ」に署名した。小渕首相は日本の韓国植民地支配について、加害と被害の主体を明らかにした上で、「痛切な反省と心からのお詫び」を述べた。両国首脳は在日韓国人が韓日交流の「架け橋」の役割を果たす存在と位置づけ、金大統領は機会あるごとに地方参政権の実現を訴えた。


阪神大震災で犠牲となった
在日同胞の合同慰霊祭で
弔辞を述べる辛容祥団長

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1999年

◆W杯在日後援会が発足

 韓日共催の2002W杯を成功させようと、「在日後援会」が5月に発足。10円募金や両国開催都市への支援を中心に、「架け橋」の役割を果たしていく。


◆参政権で全国陳情団

 全国の団長や傘下団体長で構成する「陳情団」は5月、政府をはじめ11の関係部署を訪れ、「早期立法化」を求める団長会議の決議文を伝達した。この年10月には自民、自由、公明の3党は共同で法案を提出することを合意した。


◆広島原爆慰霊碑が公園内に移設

 7月、広島市の平和公園の外にあった「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が公園内に移設され、8月には公園内で初の慰霊祭が執り行われ、小渕首相も歴代首相として初めて献花に訪れた。


◆本国水害に義援金

 韓国全域を襲った水害で、8月、1億ウォンの支援を決め、「8・15光復節」大会などで広く募金活動を行った。


◆中央団長がJAWOC特別顧問に

 サッカーの2002W杯の日本組織委員会(JAWOC)は11月、辛容祥団長を特別顧問に推戴した。外国籍者が選ばれるのは初めてのことで、韓日共催の世界的なイベントで民団の役割に大きな期待を寄せているものといえる。


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2000年

◆地方参政権で法案提出

 自由、公明の2党は1月、「永住外国人への地方選挙権付与法案」を提出した。与党の2党が共同提出したことで、法案成立の可能性が一気に高まった。

(2000.03.22 民団新聞)



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