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在日へのメッセージ

東実森夫(時事通信・社会部記者)



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50年後の戦後補償

 3年前に父が死んでしばらくしたころ、大阪に住む叔母から突然電話があった。

 ひごろ電話などしてこないので、「何事か」と思って受話器を受け取ると、「今年の遺族年金が出たが、どうやって送金すればいいか」という。最初は何のことかさっぱり分からなかったが、第二次大戦中に戦死した叔父の遺族年金らしい。

 叔母は「みんなで分けるので1万円ぐらいにしかならないが、これからはあんたももらえるで」と話していた。

 叔父の話は父からも聞いていた。叔父は一兵卒として応召し、大戦末期の1945年6月ごろ、フィリピンで戦死した。わたしは戦後生まれなので会ったことはないが、墓には何度か参ったことがある。叔父は、先祖代々の墓所から離れた一角に、他の戦没者とともに祀られていた。

 旧日本軍の軍人・軍属や遺族には、恩給法と戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)に基づき、恩給や遺族年金が支給されている。そのことは知っていたが、まさか自分が対象になるとは思っても見なかった。しかも、戦後50年以上もたっているのに、まだそんな金が支給されているとは…。

 意外を通り越して疑問さえ感じた。

 よく知られているように、援護法は日本人だけが対象で、韓国人や台湾人は除外されている。

 これまで、軍属などとして徴用された在日韓国人らが、援護法の適用を求めて何度か提訴したが、ことごとく退けられてきた。日本人には戦後50年を経た今も手厚い補償を行っているのに、である。

 自民党はこのほど、旧日本軍の軍人・軍属として働いた在日外国人と遺族に対し、戦没者弔慰金として260万円を支払うことなどを決め、今国会で立法化する方針を明らかにした。遅きに失した戦後補償。これが日本の現実なのか。

 その差別的構造に改めてがく然とするとともに、自分は恩恵を受ける立場にいたことを思い知らされた。

(2000.03.29 民団新聞)



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