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闇に消された記憶



 東京都足立区は済州道出身者が多いことで知られる。事業に成功、比較的裕福な生活を送る同胞も多く住む。Hさん兄弟も例外ではない。なぜか、二人の人柄は対照的だった。

 兄さんは民団活動に熱心で支部役員も歴任した。寡黙だが、在日同胞の青年運動にも理解があった。二十年以上も前、よく夜間の在宅時間を見計らっては訪ね、いくばくかのカンパを戴いた。当時のお金で五千円前後だったか。当時としては高額だった。

 一方、弟さんはといえば兄さんを上回る実業家として知られていたが、期待していたカンパはとうとういただけなかった。理由は「『政治』が大嫌い」なため。兄さんの生き様に対しても批判的。訪ねても玄関先で門前払いされることが多かった。

 同じ兄弟なのにどうしてこうも違うものか。その疑問が解けたのは四年前のことだった。二十年ぶりだが、相手は私の顔を覚えていてくれて、快く居間に通してくれた。話が弾み、渡日の経緯に触れたところで「四・三事件」について聞いた。その瞬間、にこやかだった表情が変わり、会話は途絶えた。

 「四・三事件」が、済州道出身者にとっては長らく語ることさえはばかれてきた「闇に消された記憶」というのはつい最近知ったこと。韓国国会が昨年十二月、真相究明のための特別法を可決するまでは、「共産暴徒が起こした国家内乱」と位置づけられてきた。肉親が犠牲となっても自ら声高に遺族とは言い出せない雰囲気があったという。

 韓国政府による施行令が決まれば、遺族の名誉回復への道も開かれることだろう。そうしたらもう一度、Hさんの弟さん宅を訪ねてみよう。今度こそ四年前の話の続きを聞いてみたい。(P)

(2000.04.26 民団新聞)



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