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高橋是清翁記念公園内で見つかった淑容沈氏の墓石

400年ぶりに、東京・港区が返還



墓前で執り行われた告由式

 東京の港区赤坂七丁目にある高橋是清翁記念公園内で見つかった朝鮮朝第九代の王・成宗の側室だった沈氏の墓石が四百年ぶりに故郷のソウル近郊の高陽郡津寛里に帰ることになった。

 返還に当たって韓国から宣陵(成宗)王と沈氏の子孫に当たる李采元さん、李明九さんら四人が来日、七日午前には港区役所で菅谷真一区長から目録を受け、午後には公園内にある墓石の前で告由祭を執り行った。

 墓石前にナツメ、クリ、ナシ、カキの四種類の果物とともに餅などが並べられ、祭祀用の韓服を身につけて一人ひとりが王酒という特別な酒を捧げながら墓石を故郷へ返還することが報告された。

 告由式は墓の移葬など特別な場合に行われる儀式。告由式修了後、早速墓石の移送が開始され、七月には元々墓があった高陽郡に戻される。

 現地では再度、大々的な告由式が催され、記念碑も建設するという。

 沈氏の墓は台座を含めて一七〇センチで表に「淑容沈氏之墓」と刻まれている。公園は、日本の金融界の重鎮で首相、蔵相などをつとめ、一九三六年の二・二六事件で暗殺された高橋是清の邸宅があった場所。三八年に是清記念事業会が陶磁の東京市に寄付し、四一年に公園として開園、七五年に港区に移管された。和風庭園を公園として利用されている。

 昨年秋、壬辰倭乱など韓日の近代史を研究し、石人像の実態調査にも取り組んでいる神戸在住の尹達世さんが調査したところ、朝鮮朝九代王の側室の墓であることが分かった。

 淑容というのは朝鮮朝の側室の官位を表し、従三品という高位階級に当たる。沈氏は寧山君と利城君の二王子と王女二人の母。

 二・二六事件を追いかける中で公園内の墓石を発見した釜山日報社の崔性圭東京支社長が、二王子の子孫に連絡を取り、四月に来日調査したところ、紛れもなく沈氏の墓であることが明らかになった。本国ではさっそく墓石返還推進委員会(李采元会長)が構成され、移設のための募金が開始された。

 朝鮮朝王族の後孫の族譜によると「四百余年前に墓が破壊され、墓石を失ったと伝えられる」と記されており、壬辰倭乱の時に持ち去られたものだと言われていた。

 管理者の港区に返還を求めたところ、日韓両国の新時代に意義あることと返還するに至った。

 寧山君から数えて十三代後孫の李会長は「やっと四百年ぶりに祖国に墓が帰ります。感無量です」と語りながら本国では二千人以上の後孫たちが待ち望んでいると語った。

 また寧山君派宗会の李明九会長も「奇跡としか言いようがない。本国でも砂漠の中で一本の針を見つけたような思いでいる。ここにあることが分かったのも、故郷に帰りたいという沈氏の思いが伝わったからではないでしょうか」と目頭を押さえていた。

(2000.6.28 民団新聞)



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