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おかしくないか…日本経済新聞

特集で韓国戦争勃発日を誤る



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 50年には国連安保理がソ連に支援された
北朝鮮が韓国に攻め込んだことを確認、
米軍を主軸とする国連軍の派遣で朝鮮戦争が起きた。
(6月28日付日本経済新聞夕刊「韓国特集」)

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開始は「7月7日以降」?
それも「国連軍派遣で」?
「誤り」未だに放置のまま


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「6月25日」にぼっ発なのに

 歴史としての「韓国戦争」(朝鮮戦争)は1950年6月25日の勃発からから53年7月27日の休戦協定締結までである。

 「韓国戦争」が、ソ連の支援を得て周到に計画し準備を進めた北韓(北朝鮮)の全面的な南侵によって引き起こされたことを疑う主張は少ない。91年のソ連邦の解体とともに、北韓の南侵を決定的に裏付ける極秘資料があいついで明らかにされ、開戦の経緯に関する戦争関連「ロシア外務省文書」が94年6月にはロシアから韓国政府に引き渡されている。

 北韓は、いまだにこの戦争について「韓国と米国の北侵で始まった」との宣伝を繰り返している。7月8日の平壌放送は「朝鮮日報(韓国の有力紙)だけが、北の南侵で朝鮮戦争が起きたという謀略説を言い立てわが共和国を中傷し北南対決をあおった。言論の自由の問題ではなく反民族的、反統一的な犯罪行為である。(暗礁は)爆破して無くしてしまえ」との威圧的論評を伝えた。

 この北韓にしても韓国戦争の開始は「50年6月25日」としている。ところが、日本の有力紙「日本経済新聞」(6月28日付夕刊「韓国特集」)は韓国戦争が起きたのは「1950年7月7日以降」であり、「これは間違いではないので訂正に値しない」と主張して譲らない。

 6月25日未明(米国時間の24日午後)にソ連製の戦車などを先頭に38度線を全線にわたり突破した北韓軍(約10万)は、3日後の28日には韓国の首都ソウルを占領し、7月1日には釜山に達した。これに対し国連安全保障理事会は6月25日に北韓の攻撃を侵略と断定、即時停戦と北韓軍の撤退要請の決議を採択。7月7日になり米軍を主体とした国連軍の派遣を決議した。

 しかし、問題の「日本経済新聞」記事によると、「国連軍の派遣」があるまでは「韓国戦争」は起きておらず、「韓国戦争の開始」と呼ぶべきではないということになる。

 なぜなら、「米軍を主軸とする国連軍の派遣で朝鮮戦争が起きた」としており(問題箇所の全文別掲)、しかも「明確な間違いではないので訂正の必要を認めない」と訂正を拒否しているのだから(7月5日付け本紙「民団新聞」参照)。

 だが、韓国戦争は「国連軍の派遣で起きた」のではない。それに先立つ「北韓軍に全面侵攻」で起きたのであり、国連安保理の「即時停戦と北韓軍の撤退要請決議」後も北韓軍の進撃が続いたために「国連軍の派遣」が決定されたのである。

 つまり、史実としては「北韓軍の韓国への全面的侵攻=韓国戦争の開始」であるのに、「日本経済新聞」は「北韓軍の韓国への全面的侵攻+国連軍の派遣=韓国戦争の開始」との“新説”を唱えているのだ。しかも、それが“新説”であるとの「自覚」もないままに。


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「訂正不要」?読者に説明を

 「日本経済新聞」の記事は、明らかに史実に反する。同紙は、この二重の「誤り」について、1カ月以上も放置している。なぜなのか。読者にわかるようにその理由を説明すべきであろう。

 もし、学校の社会科や歴史の試験問題で「韓国戦争」の記述として、同紙のこの記述が引用され「○」か「×」かと問われれば、間違いなく「×」が正解である。新聞を生きた教材にして授業を進める教育活動「NIE(教育に新聞を)」が日本新聞協会の支援のもとに小学校・中学校・高校を中心に推進されているが、同紙の記事はそのままでは教材として使えない。近現代史を学ぶ機会の少ない児童・生徒らに誤った認識を与えかねないからである。

 この問題の記事について「問題なし」と、事実上ほおかぶりを決め込む「日本経済新聞」の態度は、不可解というしかない。多数の読者からの指摘や特定団体などからの正式な抗議がなければ、対応する必要はない、ということなのか。

 たとえ1人の読者からの疑問の声であろうと、その疑問が根拠のあるものならば、誠実に対応し、また指摘のとおり記述に「誤り」があるならば、速やかに改める。これこそ責任ある新聞社の当然とるべき態度である、と考えるのは間違いなのだろうか。(Z)

(2000.08.02 民団新聞)



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