民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
平和統一の祈り、公園に込めて

広島韓国人原爆慰霊碑移設1周年



慰霊碑前で追悼辞を読みあげる朴広島団長

■□
慰霊祭で「在日」の繁栄誓う

 【広島】建立から29年を経た昨年、広島市中区の平和記念公園内に移設された韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で5日、31回目の原爆犠牲者慰霊祭(民団広島県本部主催)が執り行われた。慰霊祭では、昨年に引き続き平和公園内で開催できた喜びとともに、日本国外での居住を理由に被爆者対策から切り捨てられている在韓被爆者に対する処遇改善も求めた。

 念願の移設をはたした昨年に続いて2回目の公園内での慰霊祭には、遺家族をはじめ内外の来賓を含めて200余人が参列した。

 慰霊碑には今年新たに27人の同胞死没者名簿が奉納され、これまでに確認された死没者は2585人となった。

 主催者を代表して民団広島県本部の朴義鍾団長は追悼辞を通じて、昨年に引き続いて平和公園内で慰霊祭が開催できたことについて喜びを表した。しかし、「日本国民として被爆しながら、同じように被爆の苦しみを味わいながら、一方的に外国人として切り離し、見放された現状に世界に発信した広島平和宣言も空しい」と在韓被爆者の処遇改善を訴えながら、「広島平和公園が真の世界平和を願う発信地になるよう」にと誓った。

 続いて、追悼辞を述べた民団中央本部の金宰淑団長は、「霊前が受けた差別と侮辱を尊敬と繁栄に変える努力をしている」と報告し、「この日本に平和で差別がない社会実現を」と誓った。

 その後、ソウ圭泰駐広島総領事、韓国の原爆被害者協会の権大享副会長も追悼辞を述べた。在日韓国婦人会による慰霊歌斉唱の後、折鶴奉納が行われ、最後に参列者全員が献花しながら霊を慰めた。

 慰霊碑は、1970年に民団の有志らによって建立されたが、広島市は67年以降公園内への碑の新設を認めていなかったため、川を隔てた公園西側の本川橋西詰に設置せざるを得なかった。

 しかし、在日韓国人はもとより、多くの日本人や海外からも「公園の外にあるのはおかしい」など差別の象徴だという声が相次いでいた。このため広島市は昨年初に公園内への移設を認め、昨年7月に建立から29年ぶりに公園内への移設を果たした。

(2000.08.15 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ