民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
韓国の「民芸の美」見いだした浅川兄弟

業績伝える資料館建設へ



朝鮮古陶磁を手にする弟、浅川巧

■□
陶磁の生活様式などを再現
陶芸や民芸品なども収蔵

 【山梨】韓日文化交流の先駆者として知られる浅川伯教(のりたか、1891〜1931年)・巧(たくみ、1884〜1964年)兄弟の業績を後世に伝えようと、地元の山梨県北巨摩郡高根町(大柴桓雄町長)で資料館の建設が始まった。同町では、来春に予定されている資料館竣工を期して兄弟にゆかりのある韓国の自治体との友好関係締結を目指している。

 資料館は町役場の隣接地で7月から建設が始まった生涯学習センターのなかに併設される。同センターは敷地面積6000平方メートル、建築面積1360平方メートルの2階建て。資料館のほかにも郷土資料コーナー、図書館コーナーを設ける。総工費4億4670万円の約半額は、日本林野庁の木材流通合理化整備特別対策事業の適用を受けた。

 浅川兄弟は韓国の陶芸や工芸などの研究で大きな業績を挙げながらも、個人的な美術所蔵品は特に残さなかった。このため、資料館では、浅川兄弟がこよなく愛した韓国の当時の生活様式を忠実に再現することに力点を置く。

兄、浅川伯教

 主なものは伯教の描いた掛け軸、屏風、額、及び自ら見立て鑑定した焼き物のほか、巧がこよなく愛した膳、タンスなど当時の木工芸品や農耕用器具など。いずれも韓国で調達、展示する方針。建物の一部には、巧が朝鮮総督府傘下の林業試験場(現在の林業研究院)で林業技手として勤務していたときに養苗した信州カラ松を「里帰り」使用する。

 町では「先祖が実践し中断した韓国との文化交流を引き継いでいく」ことを目的に「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」(会長・大柴恒雄町長)を96年6月に創設している。これは、ソウル市郊外忘憂里にある巧の墓を、韓国林業試験場職員が墓碑を建てるなどしていまも手厚く守っていることがきっかけとなった。韓国の文化財研究家・金成鎮氏が町に寄贈してくれた巧の日記でも、韓日相互理解の大切さが繰り返し強調されていた。町としても韓国との交流を通して巧の遺志を継ぐことにした。

 これまでにも町から住民有志が忘憂里の墓地に足を運んで参拝してきたが、韓日両国での浅川兄弟再評価の動きとともに、97年には現地で「浅川巧公日韓合同追慕祭」が巧の没後66年目にして初めて実現した。資料館の建設はこうした韓日文化交流気運の高まりを受けて着々と準備されてきた。

 資料館が完成する来年は4月2日が巧の70周年の命日。

浅川兄弟、生誕の地。現在は畑になっている

 町ではこの間、交流の続いている京畿道抱川郡との間で姉妹都市の締結を目指しているだけに「はずみになりそう」と期待している。今後は食文化の交流や青少年ホームスティなどを進めていきたい意向だ。

(2000.08.30 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ