民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
ルポ・別世界の金剛山

歩いた、見た、聞いた<中>



金正日国防委員長の母
金貞淑女史の訪問を記念して建てられた
三日浦の丹楓館。
北韓の監視員の誘いで
一緒にこの回りを歩いた

海金剛への道…女性中心の農作業
リヤカーと牛車、若者の姿見えず

■□
美しい自然と“静かな”農村

 南江の河口の東海岸一帯に開けた景勝・海金剛に通じる「観光バス用道路」(狭く一台しか通れぬ)の左右には、黄金色の稲田が広がる。すでに刈り入れを終えたところもあるが、ほとんどはこれからだ。稲の丈は低く小ぶりである。

 畑の縁には大豆が植え付けられ、土手沿いには小ぶりのコスモスが列をなして咲いている。居住地域に近い土で盛った細い道にもコスモスが見える。ところどころに収穫を終えたトウモロコシ畑が。ポプラの木がときどき見える。カササギが数羽、収穫の終わった稲田の上をゆっくりと移動する。畑にいるのは、ほとんどが中年(?)女性だ。手作業で稲を刈り取っている所もあれば、ただ座り込んでいるように見えた所も。土手の上を歩く人もゆっくりとしている。やぎを連れたり、荷台に2人乗せた牛車を引く人も。土手をおりて水量の少ない川を、靴を手に渡る人もいた。

 しかし、若い男性の姿はない。畑にいる数少ない男性は年輩者で、しかも生気に欠ける(記者にはそのようにみえた)。土手の上や人目につかぬ脇道で一人、ぼぉーと座り込んでいる年輩男性の姿もあった。

 青壮年層は、どこにいるのだろうか。近くに軍事関連施設があるというが、多くは、そこにいっているのか。左右を高い金網のフェンスで囲まれた観光用バス道路に、数百メートルおきに立つ軍人は、10代後半か20代前半ぐらいで、みな若い。

 農村地帯に自動車・運搬車の姿はなく、自転車を数台見ただけである。トラクターを一台発見したが、それは60年代に「朝鮮画報」(朝鮮総連の在日同胞・日本人向け宣伝物)で見たのとほとんど変わらないものであった。機械化とはほど遠い、まだ“牛車中心”の世界か。

 「強盛大国」「軍民一致」「自爆精神」「祖国統一」「偉大な主体思想で武装しよう」などの勇ましく鼓舞するスローガンが、畑や低い丘の、目に付くところに並んでいる。だが、そこに住む人々の生活の改善とは、無縁のように思われた。

 「一所にじっとして暮らす」そして「移動には自分の足しか頼れない」。世界の動きとは関係なく、時だけが流れていく。そのような社会を想像させる静かな農村の風景であった。

 途中に検問所があり、万一の時には狭い道を防げるよう左右にコンクリートの固まりを三段に積んであった。中央の石は、上段の石が道路に落下しやすいよう斜めに削られ、上の石は石の支柱で支えらていた。海岸に近ずくにともない、岩山と砂地にさほど高くない松の林に変わる。二重の電気鉄条網が道の左右に走っていた。「ここから非武装地帯(DMZ)に入る。海金剛はDMZ内にある」と同行の現代商船のスタッフが説明した。


■□
海金剛は“民統線”内側に

 電気鉄条網は、記者が以前にソウルから板門店に入る途中で見たものと比べ、はるかに小ぶりであった。 「あれでは、韓国の方から攻めてくることはない、と考えていることを示すようなものだ」との声が、日本人記者の中から聞こえた。

 記者には、「民統線」(民間人統制線)のように見えた。海金剛の海岸にいた北韓の監視員に「途中にあった電気鉄条網は民統線ではないのか」と質問した。

 この監視員は、「民統線」という言葉を知らなかったようだ。近くにいたもう一人の監視員が寄ってきたので、同じ質問をした。「南側(韓国・高城郡)の『統一展望台』は、この海岸からずうっとさきに見える山並の奥の山にあるという。休戦線非武装地帯は南北双方二キロずつ、あわせて4キロだ。ここはDMZ内ではなく、民統線内でないのか」

 監視員は「民間人統制線というものは、われわれにはない。ここはDMZ内だ。将軍様(金正日国防委員長)さまの指示で開放された」と強調した。

 しかし、ここがDMZ内ならば「統一展望台」はもっと近くに見えるはずだ。そもそも、韓国戦争の休戦協定(53年7月)に基づいて設けられたDMZの中に、民間人がそれも観光のため簡単に入れるはずがない。やはり、あの電気鉄条網は「民統線」のようなものだろう。東京に戻り地図で確かめると、海金剛は北側DMZからさらに2・5キロ以上北側にあった。

 「DMZ内を開放した」と強調したくだんの監視員は、記者に「どこから来たのか」と問い、「在日同胞、民団新聞記者」であることを知ると、朝日国交正常化問題および朝鮮総連・民団関係についてやつぎばやに質問してきた。


■□
民団、朝日国交関係で質問責め

 ▽日本は朝鮮に賠償・補償をすべきだが、どう思うか▽日本の新聞ではどの新聞が南北統一に最も友好的か▽死んだ小渕の後に首相になった森は朝鮮に対し非常に友好的で、平壌にくるという話も聞いている▽南北首脳会談以後、「将軍様」の人気が日本でも高まっていると聞いているが▽民団は賠償・補償に賛成しているのか▽朝日国交正常化促進へ民団は示威(デモ)をしないのか▽民団も総連と同じように政府の指示によって動いているのではないのか▽在日同胞社会での民団と総連の参加者比率はなど。

 「せっかく海金剛にまできたのだから写真を1枚撮ってあげましょう。カメラを」との監視員の親切な申し出に、記者は「ありがとう。もう撮ってもらったのでいいです。一緒に写してもらいましょう」と提案した。だが「一緒にうつすのはまずい」ということで断られた。

 この監視員とは、つぎに回った景勝地・3日浦(「関東八景」の一つとして有名)でも顔を合わせた。彼の申し出で、2人だけで丹楓館(金正日国防委員長の生母・金貞淑女史の3日浦訪問を記念して建てられた)を1周しながら同様な問題で話し合った。


■□
監視員、「なに不自由なく暮らしている」

 3日浦では、時間的に余裕があったためか、韓国人観光客と監視員の歓談場面が、いくつも見られた。湖上をながめていた記者のすぐそばでも、大邱から来たという60歳前後の男性と監視員が会話。

 男性「南北はお互いに協力していかなければならない。南が技術を提供し、北は労働力を出すようにすればよい」

 監視員「南は人が足りないのか。八百万もの失業者がいるではないか。あなたは経営者か」

 男性「店をやっていたことがあるが、今は違う。北の生活は大変でしょう」

 監視員「生活は基本的に保障されている。そのうえで成果をあげ、評価されればもっと貰える。みんな、なに不自由なく暮らしている」

 男性「ほんとかあ。南は電子や情報技術などに力を入れている。(北は)農業だけではだめだ」

 若い女性観光客が、ほかの女性監視員より少し体の大きめな女性の監視員に「オンニ(お姉さん)、北側の人はみんなやせていると聞いていたのですが…」と質問。この女性監視員は「やせた人ばかりでなく、太めの人や、いろいろなひとがいる」と相手の手を握りながら答えていた。2人は、手を取り合ったまま、しばらく話し続けていた。

 3日浦のコースを散策していると、海金剛の駐車場で言葉を交わした女性監視員と出くわした。彼女は、2年前に地元の学校を卒業後「自分の希望」でこの職に就いていると説明。「同級生らも自らの希望で大学にいったり、就職している。就職後も大学にいくことができる」と強調した。

(編集委員・朴容正)

(2000.10.18 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ