民団新聞 MINDAN
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ルポ・別世界の金剛山

歩いた、見た、聞いた<下>



平壌牡丹峰サーカスのフィナーレ

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南北韓、非対称是正が課題
相互交流推進・統一には…

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特別空間でのサーカス公演

 金剛山観光の出発点、温井里の温井閣休憩所区域(610坪)にはバス50台が駐車できる駐車場があり、休憩室、レストランとラウンジ、売店、土産品販売店、それに病院までもある。

 同じ一角にあるドーム状の金剛山文化会館(現代グループが建設。収容能力1000人)では、世界でも評判の高い北韓自慢の平壌牡丹峰巧芸団員(約100人常駐。楽団含む)によるすばらしいサーカス公演が、連日(90分間)行われている。

 空中回転飛行、ブランコ逆さ乗り、飛び板の技、棒技、円筒積みバランス取りなどの妙技に、会場を埋めた観光客から「オンマヤ」「アイゴー」「アイゴ・ムシラー」「アイゴー・ナヌンモルゲッソ」との驚きの声と安堵の拍手が続いた。

 道化役の登場と、舞台にひき上げられた観客(日本人記者だった)の「ちぐはぐなしぐさ」には爆笑が。場内の盛り上がったところでの「ハナ(ひとつ=民族はひとつ)」の垂れ幕に観客は喝采した。

 フィナーレには演技者全員(約40人)がそろって舞台に登場、観客も全員立ち上がり、手を振り、「アンニョン」(さようなら)と別れを惜しんだ。

 観光客は、公演場という「密閉」空間で北韓の人々を身近に感じ、あらためて「一体感」を呼び起こされたようである。今回の旅行中、北韓の人々を目のあたりにし、直接「交歓」らしきもののもてた「唯一の機会」であった。


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施設の内と外二重の「隔離」

 観光コースの途中にいる北韓の監視員(環境保護巡察員)は、皆親切で観光客の質問などに丁寧に答えてくれる。多くの人が好感を抱いたことだろう。

 金剛山の峰々・渓谷・滝・奇岩と紅葉・松林、海金剛と3日浦など、自然の素晴らしさ・美しさは、申し分ない。だが、北韓の「普通の人」、一般の人との接触・会話はもとより、「塀」に阻まれて町や村に近づくことすらできない。

 毎回1000人近くの韓国人観光客でにぎわう温井閣休憩区域は、二重の塀で「隔離」されていた。つまり、観光客が北韓の住宅地域をのぞくことができないように自ら高い塀を設け、その外側には北韓側から施設が見えないように北韓が設けたもう一つの壁があった。金網のフェンスでしきられた「観光バス用道路」から比較的近くにある住宅群は高く長い塀が築かれ、外からは屋根しか見えない。

 観光バス用道路の左右に広がる農村の風景を、車窓越しにかいま見ることができるだけである。北韓の住宅・施設だけでなく人間も、そして農村風景も、いっさい撮影禁止である。

 金剛山観光関連施設で働く従業員は、中国の延辺などからきている朝鮮族同胞(バスの運転者は全員彼らだ)と韓国人で、北韓の住民は一人もいない。平壌牡丹峰巧芸団のメンバーも舞台公演の時を除いては、韓国の観光客とはもとより、隣接する休憩施設の従業員と接したり会話をすることすらない、という。


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見ざる・聞かざる・言わざる

 金剛山観光だけでなく、同胞として、できれば北韓の地元の人たちの顔と生活を見、あいさつを交わし、会話もしたかった――というのが、今回の観光参加者の共通した思いであっただろう。

 中国朝鮮族同胞とは、自由に会話ができ、お互いの状況について話し合うこともできるというのに。北韓は、対外的には「われわれはハナ(ひとつ)である」「統一のために南北交流・協力を推進しなければならない」と強調していながら、現実には、依然と「普通の人」同士の交流はもとより、接触すら厳しく禁止している。

 一方、北韓の住民が見ることのできるのは、時にはほこりをたてながら「観光用道路」を通過するバス群だけだ。そこに乗っている韓国からの観光客がどのような人びとなのか、また休憩所区域内がどのようになっているかなど、見ることも知ることもできない。

 彼(彼女)らは、連日押し寄せる観光客になにを思い、韓国企業による観光開発についてどう考えているのか。そもそも、現代グループによる30年間の独占開発権を含む「金剛山総合観光開発事業計画」そのものが、住民に知らされているのかどうか。それすら知りようがない。

 記者を含め参加者は、もどかしい思いを抱いたまま、2日間の金剛山観光を終え、夜、暗闇の中、チャンジョン港を後にした。


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「日常」へ戻るための“儀式”

 船内では、毎晩パフォーマンスホール(約350人収容)で歌や踊りのショー、のど自慢大会などが行われた。司会者の巧みな話術により、大いに盛り上がり、爆笑がたえなかった。同行の日本人記者の一人は「司会者の話はほとんどが猥談だ」と感心していた。

 船が釜山・多大浦港に近づき、下船の直前にもにぎやかなショーが行われた。これは、「『金剛山』・北韓」という「静穏・統制」の「別世界」から、工業化・都市化が進み、さまざまな音・色があふれ、せわしなく、騒々しくもある日常に戻るためのセレモニー(儀式)のように、記者には思われた。

 チャンジョン港を出る時に「韓半島旗」だったマストの旗は、いつのまにか「太極旗」に変わっていた。

 釜山に戻り、韓国と北韓社会は、「非対称」であることを、あらためて強く感じた。韓国は、「自由に歩き、見て、聞く」ことができ、「政府・為政者に対する批判」の保障された「開かれた社会」である。政治的には民主体制国家で、経済的には市場経済、産業化・工業化が進み先進国クラブと称されるOECD(経済協力開発機構)のメンバーでもある、いわゆる「持てる国・援助する国」だ。

 一方、北韓は、「自由に歩き、見て、聞く」ことができず、「為政者批判」の許されない「閉鎖社会」である。政治的には独裁・軍中心体制でメディアは一元化されている。経済的には指令経済で、まだ「持たざる国・援助される」に数えられる。

 韓国では、88年以来海外旅行が完全自由化され、昨年は四百万以上が海外に出ている。また、モータリーゼーションが進み、「全国1日経済圏」となって久しい。これに対し北韓では、海外に出れるのは極少数の「選ばれた人」だけで、「普通の人」は地方への移動さえ容易でないという。韓国からの金剛山観光客は、すでに三十万人を突破した。全国各地から、さまざまな層の人々が参加している。


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「普通の人」と「選ばれた人」

 これら韓国の「普通の人」が接することのできるのは、北韓の「選ばれた人」(監視員)だけである。これまた「非対称」である。北韓の「普通の人・一般の人」(地元の住民)は、二重の塀と高い金網フェンスで「見ざる・聞かざる・言わざる」の状態におかれている。

 南北の「非対称」が、「普通の人」同士の交流の障害要因となっている。この「溝」を埋めなくては、真の「統一」推進は望みがたい。

 この10月3日に「統一10周年」を迎えたドイツの場合、統一前にも、東西間の交流と往来が活発で、「普通の人」の生活情報など共有化されていた。経済の格差も、現在の韓国と北韓ほどではなかった。だが、いまだに東西間の「溝」は埋まらないという。

 シュレーダー独首相は9月29日、連邦議会での演説で「統一の完結に向けてさらなる努力が必要」と強調した。ワイツゼッカー元大統領も、日本人記者との会見で「経済的にも精神的にもまだ途上にある。旧東独の生活基盤や経済といった物質的な面を、西独のレベルにするという目標の半分は達成できたが、(目標への)到達には、さらに10年はかかる」との見方をしている。


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南・北の異同直視から出発

 在日同胞が切望する「南北統一」とは、「平和的・民主的・自主的統一」=南北社会の等質化(平和・民主・人権の価値観共有)である。

 南北双方が、両社会の「非対称性」=「溝」を直視し、その「溝」を埋めていく作業に本格的に取り組むと共に、「普通の人」同士の交流と往来が1日も早く実現されるよう望んでやまない。金剛山観光バスの一行に手を振り続けた北韓の子供たちが大人になる前に、真の「統一」実現に向けた南北間の交流と往来が日常的になされるものと信じたい。

(編集委員・朴容正)

(2000.10.25 民団新聞)



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