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在日へのメッセージ

イデオロギーと涙
宇恵一郎(読売新聞解説部次長)



 「この木は昔のまま、変わりないな」。54年ぶりに慶尚北道のふるさとを訪ねたPさん(87)は、しばし無言のまま、生家の裏庭の樫の木を見上げた。

 9月。朝鮮総連の同胞故郷訪問団の一行63人がそれぞれの想いを胸に南北分断後初めて故郷の地を踏みしめた。いずれも在日一世の70代から90代の総連老活動家たち。

 民団が1975年から始めた朝鮮籍の同胞を対象とした母国訪問団に参加すれば総連組織の人々にも韓国訪問の道は開かれていた。とはいえ、それぞれ総連、総連傘下の商工会の筋金入りの幹部たちとあって、「一生、故郷の地は踏むことはない」と覚悟していたに違いない。

 6月の南北首脳会談での南北和解の動きの余波は、こうした一世たちのかなわぬ夢を実現させた。

 「これも金正日将軍の温かい配慮のお陰」「民団の圧力に屈せず総連の正しさを信じてここまでやってこれて、堂々と帰郷を果たした」。成田空港での出発式で、ソウルのホテルでの会見で、それぞれ肩に力を入れて判で押したように答える一世たちだったが、2泊3日の故郷での墓参の旅を終えてソウルに戻ってからは表情も和らいでいた。言葉少なに、「やはりふるさとだからね…」。

 Pさんは、ソウルまで迎えにきた親族四十数人と貸切バスで墓参の旅に。姪が一針一針心を込めて縫い上げたパジチョゴリ姿で。

 「総連の活動家だということにこだわるかって?もう昔の話だから。自分たちにとっては、久しぶりに田舎に戻ったハラボジですよ」と親族の一人。

 半世紀に及んだ別離と涙の再会のドラマがそれぞれの故郷で繰り広げられた。再会を阻んできたイデオロギーと、あふれる涙。冷戦から和解へと時代は本当に変わるのか。17日には訪問団の第二陣が出発する予定だ。

 旅を終えて1カ月半。日本に戻った一世たちは子や孫たちに韓国の今をどう伝えただろうか。「米帝の傀儡」「買弁の国」ではないことを信じたいのだが。

(2000.11.08 民団新聞)



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