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平和協定、南北が主体

金大中大統領が強調



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「韓国排除はあり得ぬ」

 【ソウル】金大中大統領は10月31日、「平和協定は戦争当事者が同意し、南北韓(韓国と北韓)が主体とならなければならないので、どのような形であれ、われわれ(韓国)が排除される平和協定はありえない」と強調した。

 「コリア・タイムス」創刊50周年会見で、北韓・米国間平和協定締結可能性についての質問に答えたもの。「南北が主体となり、米国・中国が支援する形の四者会談で平和協定が締結されるのが望ましい」と述べ、99年8月以降中断されている「四者会談」の推進をあらためて表明した。

 特に、金大統領は「1953年の(韓国戦争)休戦協定締結当時、米国のクラーク将軍が署名したが、これは国連軍代表(総司令官)として行ったものであり、当時韓国は国連軍の一員であったので当然戦争当事者である。しかも、領土の100%を占めている南・北韓のいずれかが抜けた平和協定ならば、いったいどのような意味があるだろうか」と力説、「韓国排除、北韓・米平和協定」の不当性と非現実性を指摘した。


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韓国は「休戦協定」当事者
北韓の対米平和協定案は法理に反する

◆解説

 韓半島の恒久的平和体制は、本来南北の両当事者同士で取り決め、ついで休戦協定と代替する措置が必要なので休戦協定当事者である米国と中国がこれを保障し関係国が了知、歓迎するのが順序である。

 だが、北韓は、「南北基本合意書」(南北和解、不可侵および交流・協力に関する基本合意書。91年12月調印。翌年発効)にも反して韓国を排除し米国との間に平和協定を締結しようとしている。このため、北韓を南北対話に誘い、平和確保という最優先課題を果たすため、やむを得ず南北平和協定締結の入り口として「四者会談」が韓米両国により提案された(96年4月)。

 「四者会談」は97年12月から開始され、99年8月まで6回もたれたが、北韓が、駐韓米軍の撤退や北韓・米平和協定の締結を優先的に協議するよう求める一方で南北対話を拒否し続けたため、具体的成果のないまま、中断している。 北韓は、米国との平和協定締結の理由として、韓国は休戦協定に署名しておらず、したがって休戦の直接当事者ではないと主張。韓国および日本の一部新聞なども、「韓国は休戦協定の当事者ではない」と同様な“解説”をしている。

 だが、これは休戦協定の法理を無視した明白な誤りである。休戦協定は、国連軍司令官を一方の当事者とし、北韓人民軍司令官および中国人民志願軍司令官をそれぞれ他方の当事者としている。これは、国連軍側(韓国軍を含む参戦17カ国軍)に統一的司令部があり、北韓軍と中国軍側に統一的司令部がなかった事情によるものである(中国軍が参戦してまもなく連合司令部が構成され、総司令官には中国軍の彭徳懐司令官が就任、そのもとで作戦が遂行されたが、同司令部の存在は対外非公開とされた、との指摘もある)。

 国連軍司令部の指揮下にあった韓国は、米国など他の参戦国と共に法理的に休戦協定の当事者である。そのために、北韓は当初、休戦協定に代わる平和協定を南北間で締結することを主張していた。つまり、韓国を正当に休戦協定の当事者と認めていたのである。

 たとえば、金日成主席(当時首相)は72年1月、日本の読売新聞記者との会見で、韓半島の緊張を取り除くためにはまず南北間で平和協定を結ぶことが緊要で、その後に駐韓米軍を撤収させればよいと主張していた。

 ところが、北韓は、74年4月になって、韓国側提案の南北不可侵協定の締結を拒否すると同時に、「休戦協定に代わる平和協定の締結対象は米国である」と従来の主張を一変させ、今日に至っている。このような主張には、米国はもとより中国も反対し、「四者会談」の推進を促している。(Z)

(2000.11.08 民団新聞)



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