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「チャル・ガッソ」



 「在日の戦後補償を求める会」共同代表の李仁夏さんは趙緕さんの遺影にこう呼びかけた。日本語に直せば「天国に着いたか」というぐらいの意味だろうか。その声からは深い悲しみと、やり場のない憤りが感じられた。

 趙さんは足立区の東京製鐵海軍管理工場に準軍属として徴用され、働き始めて間もなく事故にあった。まだ15歳の時のこと。モーターの上に鉄を載せて、炉に入れる作業の途中で歯車が動かなくなった。バールで動かそうとした瞬間、前掛けの糸くずが歯車にかまれてしまい、あっという間に右腕をはさまれたという。医者がノコギリをあてたところを趙さんが大騒ぎしたため、かろうじて切断だけは免れた。

 こんな体では帰国しても家業の農作業を手伝えない。「お母さんにも申し訳ない」という気持ちから日本に踏みとどまったという。生前、趙さんは「援護法」に基づく障害年金の支給を訴え続けてきたが、最後まで思いはかなわなかった。

 日本に頼りとする身よりはすでにない。亡くなったときも遺骨の引き取り手がなく、やむなく地元の自治体がだびに付した。葬儀は戸籍名の趙ではなく生前便宜的に用いていた「安本」で執り行った。解放前は無理矢理日本人にされ、いままた日本人のまま葬られることの不条理。李さんのやり場のない憤りの原因はここにもあったようだ。

 趙さんを「追悼する会」は12日、民団葛飾支部で行われた。会館の二階は関係者50人余りで埋まった。祭壇には民団葛飾支部と婦人会葛飾支部が心づくしの供物を用意した。無念の思いを胸に逝った趙さんだが、少しは寂しさが薄れたかもしれない。(P)

(2000.11.22 民団新聞)



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