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監督対談・前田憲二Vs呉徳洙

「20世紀の在日史を残す」



前田憲二監督

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「在日」「百萬人の身世打鈴」
2作品に見る「在日と日本」

戦後史の欺瞞性を追求
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 前田憲二監督の映画「百萬人の身世打鈴」は、制作に丸4年の歳月を費やし、ようやく今年の9月に完成した。呉徳洙監督の映画「在日」は、98年から全国で公開され、去る8月には待望のビデオも発売された。20世紀の在日同胞と日本との歴史を振り返り、21世紀のあり方を長編映画で世に問う両監督に対談してもらった。


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◇ 前田
 映画「在日」はたいへん優れた作品で、戦後の在日の問題を教えられた。ワシントンの公文書館でフィルムや資料を集めたことはお手柄だ。ぼくの映画では韓国の独立記念館の資料や写真が有り難かった。長野県の松代大本営については、信濃毎日新聞が戦前、戦後の資料を洗いざらい提供してくれるなど、全面的に協力してくれた。また、1940年から48年頃までの植民地時代の日本側の撮影した記録映画などを東京で探した。韓国南部の生活の断片を写したもので、現在と当時の生活を照らし合わせることで映画の肉付けができた。

◆ 呉
 資料へのこだわりもあったが、もっと大きなねらいがあった。戦後50年の在日史を見た場合、日本の歴史家は日本帝国主義と植民地支配という切り口の中で描いてきたように思う。戦前は確かにそれでよかったかもしれないが、戦後の場合は1945年以降、7年間はGHQの支配だった。その中での在日朝鮮人対策としての在日問題であること、アメリカが在日の運動体をどう見ていたのか。その資料をどうしても入れたかった。在日を描くにも世界との関係史の中で見ないと見えてこないものがあると実感した。前田さんは長い映画人生の中で、古代までさかのぼってライフワークとしてこられたが…。


日本は吹溜まり文化
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◇ 前田
 29歳の頃、TBSテレビで「日本の祭」という番組を担当することになった。1年五十二週分の番組制作のために、全国津々浦々を回った。すると、「日本はどうなっているのか」という素朴な疑問が湧いてきた。朝鮮三国と伽耶の文化が日本の中にるつぼとなっていろんな所に見えてきたからだ。しかし、当時は日本の中の百済というような作品の企画が通らなかった。結果的に二百五十本くらいの「日本の祭」や日本の集落の作品を作る中で、日本は吹き溜まり文化圏じゃないかと思うようになった。ツングース文化や南方から海上の道を通った文化、中国の文化も色とりどり日本に入ってきている。その中で、一番隠〓されているのが、朝鮮の三国文化だ。それから「記紀」、「続日本紀」「風土記」類を読んで勉強し、いずれ一本映画を撮らなくてはと思った。それが出発点だ。


呉徳洙監督

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映画の完成は終わりでなく出発…前田
在日が自らの歴史を概括的に知ろう…呉

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◆ 呉
 日本列島はパチンコの受け皿というたとえ話がある。玄界灘をはさんで大陸に沿って弓なりになっている。北はカムチャッカから中国、朝鮮、ルソン、そういう文化をすべて取り入れ、それを全部自分たちの日本文化にしてしまう。グルメ、ファッション、ゲームなど、20世紀末の現在の日本にもまさに「パチンコ受け皿文化」として残っているのではと感じる。

◇ 前田
 それほどの宝物があるにもかかわらず、どうして隠〓してきたのか。その問題を考えなくてはならない。百済と言えば王仁博士だが、学校教育で教えたのはその程度。日本人にはどこか「言わないことの方が利口だ」という歴史の流れがあった。これからの日本は貿易を中心にして国際化を図らなくてはならない現実もあるわけだから、もう一度日本をクリアに見つめ直していくべきだ。


在日機軸に描く日本
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◆ 呉
 「在日って何ですか」という質問をよく受ける。つまり、日本の社会教育の中で植民地支配とか、強制連行という切り口だけで在日が語られてしまう。しかし、それだけではない、戦後50年という節目を借りはしたが、在日を描くというよりも在日の戦後の運動史、社会史、政治史を基軸に置きながらも、実は日本という国、その社会は何なのかというのを描きたかった。戦後50年の中での日本の民主化、憲法制定、婦人参政権など、いい政策はあるけれど、一方で日本が在日の側をいかに抑圧するところから始まったのか。

◇ 前田
 触発されたのは、「3・一独立運動」だ。神田のYMCAでの若者の決起が、ソウルに波及したという運動の広がりがあった。その事実を学ぶために、当時の朝鮮日報、東亜日報の記事が乗っている古書を紐解くと、日本当局によってことごとく記事が墨で塗りつぶされていた。民衆はどういう生活をしていたか。ジャーナリストはどういう記事の取り組みをしてきたか。そのことを教えられた。近現代史を拭って通っていくとアホと言われる。かといって、朝鮮問題を映画にするのかと周囲は反対した。しかし、そういう本に触発されて立ちあがらざるをえなくなった人々がいたということ。それが実は在日だった。吹き溜まり文化圏の列島の中でかつて指紋の問題があり、今も地方参政権がどうなるやらわからないという現実がある。たたきつけられるような厳しい状況の中で、打ちのめされながらも、はねつける文化を在日はもっていると思う。内なる抵抗の意志がますますほしい。


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不条理の"義憤"えぐる
「在日」の内なる抵抗に期待

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在日と日本人の関係
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◆ 呉
 98年から上映が始まったが、三分の二が日本人だと見受けられる。いろんな地域の映画館上映と百数十カ所のホール上映を開催する中で、地域社会の中での人間関係ができてくる。その関係性がいまだに続いているというのが、財産、宝物だ。では、なぜ多くの日本人がこんな重いテーマの映画上映を一緒に薦めてきたのか。それは在日が不条理の生を生かされてきたということに対する義憤というか、日本社会の問題を見ていることの表れで、自らが問われた。他を抑圧して成り立つ日本の戦後民主主義のひずみ、欺瞞性を考えてくれたと思う。

◇ 前田
 在日は歴史と文化を創ることができる状況にあると思う。60年安保には、時代の大きなうねりがあった。そのうねりがこれまでの長いスパンの中で淘汰されて今右傾化のうねりが出てきている。在日は東アジア全体の中で一番活発な発言権が持てる状況にあるとふんでいる。いろんな意味で痛みをもっているから、日本人も感化を受けていかなくてはいけない状況下にあるんじゃないか。在日の居住性を政府や文化人はまったく〓み上げていってないんじゃないか。なぜ、地域に住みながら参政権もないのか。こういう矛盾を感じていないわけだ。

◆ 呉
 在日にとって大事なことは、地域社会で生きている自らを明らかにしていくことだ。早晩、地方参政権が獲得されれば、投票に行く時は韓国人だとわかるようにセットンの図柄でも示していく(笑)。日本人とどういうように向き合いながら、日本社会の一員として考えあえる関係性をどう作っていくかだと思う。

◇ 前田
 要するに国、国家でなく人間の問題だ。帰化した同胞も含め、在日個々の意見や心理をどう〓み上げていくか。生活史をどう見るか。何に困窮して生きているか。そこにどう関与していくか。「百萬人…」では17人が代弁して証言しているというふうに構成したつもりだ。その人たちにいかに教えられたか。これがぼくの財産になった。教科書にないこと、新聞では読めないことを教わっている。映画の完成は終わりではなく、新しい出発だ。

◆ 呉
 在日が自らにつながる歴史をまずは概括的に知り、次にファミリーの歴史を知ること。これが両輪だと思う。自分のライフワークとして、映像を借りて在日100年になんなんとする歴史の中で、日韓、日朝の歴史を次世代に受け渡していきたい。映画「在日」を作ったことで、ますますファイトがわいている。

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 「百萬人の身世打鈴」は、東京・中野ZEROホールで11月28日〜30日(18時開始)と12月12日(13時開始)上映。問い合わせは映像ハヌルへ。電話03(5996)9426。

(2000.11.22 民団新聞)



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