民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
ノーベル平和賞受賞式

金大中大統領のスピーチ(全文)



■「太陽政策」支援に感謝

 国王陛下。
 皇太子と王女並びに王室家族の皆様。
 ノルウェーノーベル委員会委員の皆様。
 そして内外貴賓と紳士淑女の皆様。

 ノルウェーは人権と平和の聖地です。ノーベル平和賞は世界すべての人類平和のために献身するよう、激励する崇高なメッセージであります。本日私に下さった栄誉はまたとない栄光であると感謝申し上げます。しかし、私は韓国で民主主義と人権、そして民族統一のために尽力し犠牲となった多くの同志と国民を考える時、この栄光は私だけのものでなく、この人々らにこそささげられるべきだと考えます。

 また、わが国民の民主化と南北和解のために、努力を惜しまず、支援してくださった世界の国と友人にも、心より感謝申し上げます。

 本日、このノーベル平和賞を私に与えた下さった理由の一つは、さる6月に行われた南北首脳会談と、その後展開されている、南北和解協力の過程に対する評価だと思われます。

 尊敬する皆様!

 ノーベル委員会が肯定的に評価してくださった最近の南北関係に対し、話をさせていただきます。

 私は去る6月、北韓の金正日国防委員長と歴史的な南北首脳会談を持ちました。北韓に行く時、何かと心配事も多かったのですが、ひたすらに民族の和解と韓半島の平和への一念で出発いたしました。会談が成功するという保障もありませんでした。南北は半世紀にわたる分断の中で、3年にもおよぶ戦争を行い、休戦ラインの鉄柵を間に置き、不信と憎悪で50年を過ごしてきたのです。

 このような南北関係を平和と協力の方向へと転換させるために、私は1998年2月、大統領就任以来、太陽政策を一貫して主張しました。それは第一に、北韓による赤化統一を容認しない。第二に、南による北韓の吸収統一も決してしない。三番目に、南北はひたすら平和的に共存し平和的に交流協力しようということでした。

 完全な統一に達するまでは、いくらかかっても互いが安心し、ひとつになることができる時まで待つべきだということが私の考えでした。

 北韓は当初、私たちの太陽政策が北韓を転覆させようという陰謀だととらえ、強い反発を示しました。しかし私たちの一貫した誠意ある姿勢と、ノルウェーをはじめとする世界各国からの太陽政策に対する支持が北韓の態度を変えさせました。そしてついに南北首脳会談が実現したのです。

 南北首脳会談は予想通り、真に難しい交渉でした。しかし私たち2人は民族の安全と和解協力を願う立場で、相当な水準の合意を引き出すことに成功しました。


■自主平和的祖国の統一

 一つ目に、私たちは祖国の統一を自主的で平和的に成し遂げよう。また統一を急がず、まず南と北が平和的に共存し、平和的に交流・協力するために全力を尽くそう、ということで合意しました。

 二つ目に、従来南北間に顕著な差があった統一方案に対しても、多くの合意点を引き出すことに成功しました。北韓は私達が主張する統一の前段階である「一民族二体制二独立政府」の「南北連合制」に対し、「低い段階での連邦制」という形で接近してきました。分断半世紀ぶりに初めて統一への制度的接点が成し遂げられたのです。

 三つ目に、駐韓米軍が継続駐屯することにより、韓半島及び東北アジアの安定を維持しようということにも合意しました。

 北韓はさる50年間、駐韓米軍の撤収を最大争点として主張していました。私は金正日委員長に強く呼びかけました。「米・日・中・露の四強に囲まれ、世界でも類例がない特殊な地政学的な位置にある私たちとしては、駐韓米軍は必要不可欠です。駐韓米軍は現在だけでなく統一後も必要です。ヨーロッパをごらんなさい。当初NATOの創設と米軍の駐屯はソ連と東欧共産圏の侵略を防止することが目的でした。しかし共産圏が滅亡した今でもNATOと米軍があるではないですか。ヨーロッパの平和と安定のためにはその存在が必要なのです」。

 これに対し金正日委員長は、意外にも従来の主張とは異なり積極的に賛成を示しました。これは韓半島はもちろん、北東アジアの平和に向けた、実に意義深い決断だったのです。

 このほか、私たちは離散家族の再会に合意し、これはすでに円満に実践に移されています。また経済協力に対しても合意をしました。すでに投資保障、二重課税防止など、四協定締結の合意書に署名しました。

 私たちはこの間、北韓に対して人道的レベルで肥料30万トンと食糧50万トンを支援しました。そして社会・文化交流に対しても合意し、スポーツ、文化芸術、観光の交流などが順次活気を帯びているところです。

 また、南北間の緊張緩和と平和定着を議論するための南北国防長官会談が開かれ「二度と戦争をしない」と合意しました。南北間に分断された鉄道と道路を再び連結するために、両国の軍が協力するということにも合意しました。

 その一方で私は、南北関係改善だけでは韓半島の平和と協力を完遂できないと判断し、北韓が米国との関係を改善し、さらに日本及び他の欧州国とも関係改善するよう積極的に勧誘しました。そしてソウルに戻り、クリントン大統領、森首相など、米日両国の首脳にも北韓との関係改善を勧告しました。

 また私は今年10月、ソウルで開かれた、第三次ASEM首脳会議で欧州の友邦国にも、北韓と関係改善をするよう勧告しました。皆様もご存じのように現在、朝・米関係と欧州と北韓関係は大きなな進展を見せています。このような出来事は韓半島平和に決定的な影響と進展をもたらすでしょう。


■欧の民主制度、亜の人権思想

 尊敬する貴賓の皆様!

 私が民主化のために数10年間闘争した時、いつもぶつかる反論がありました。それはアジアには西欧式民主主義が適合しにくく、またこのような根がないという主張でした。しかしこれは事実と違います。アジアにはむしろ西欧よりもはるか以前に人権思想があり、民主主義と相通ずる思想の根がありました。「民を天とする」「人がすなわち天である」「人を崇めることを天を崇めるようにしなさい」。これらは中国や韓国などで3000年前から政治の最も根本要諦として主張されてきた原理でした。また2500年前にインドで始まった仏教では「この世で自分自身の人権が一番重要だ」との教理が強調されました。

 このような人権思想とともに、民主主義と相通ずる思想と制度もたくさんありました。

 孔子の後継者の孟子は「王は天の子である。天が民に善政を施すためにその子を降ろしたのだ。ところがもしも王が善政をせずに民を抑圧するならば、民は天に代わり王を追い出す権利がある」としました。これはジョン・ロックが彼の社会契約論で説破した、国民主権思想より2000年も前のことであります。

 中国と韓国では、既に紀元前に封建制度が打破され、郡県制度が実施されました。公務員を試験によって選ぶ制度は1000年以上の歴史であります。これと併行して王を含んだ高官等の権力乱用を監視する強力な査定制度も存在しました。これとともに民主主義に対する豊富な思想と制度の根があったのであります。ただしアジアでは、大義的民主制度の機構はつくり出すことができなかったのです。それは西欧社会の独創的なものとして、これは人類の歴史に大きく寄与した素晴らしい業績であります。

 西欧の民主制度は、民主的な根があるアジアでこれをとり入れた時、アジアでも立派に機能しています。

 韓国、日本、フィリピン、インドネシア、タイ、インド、バングラデッシュ、ネパール、スリランカなど、数多くの事例があります。

 東ティモールで住民たちが民兵隊の苛酷な虐殺と弾圧にもかかわらず、勇気を持ち独立を支持する投票に参加しました。

 今ミャンマーでアウンサン・スーチー女史が苦難の闘争を続けています。アウンサン・スーチー女史はミャンマー国民と民心の幅広い支持を受けています。私はいつかミャンマーに民主主義が必ず回復し、国民による代議政治が復活する日が来るだろうと確信しています。


■韓国の改革、今後も継続

 尊敬する皆様!

 民主主義は人間の尊厳性を具現する絶対的な価値であると同時に、経済発展と社会正義を実現する唯一の道だと私は信じます。

 民主主義がない所に正しい市場経済が存在するはずがありません。また市場経済がなければ競争力ある経済発展は期待できません。

 私は民主主義的基盤がない国家経済は砂上の楼閣であるだけだと確信しました。それで98年、大統領就任後「民主主義と市場経済」の並行発展とともに「生産的福祉」政策を推進しています。

 韓国はさる2年半の間、民主主義と市場経済、そして生産的福祉の並行実践という国政哲学のもと国民の民主的権利を積極的に保障しています。金融、企業、公共、労働部門の四大改革を持続的に推進してきました。福祉の重点を低所得層を含む、あらゆる国民の人材開発に置くことによって現在、相当な成果を上げています。

 韓国の改革は今後も続きます。このような改革を早くしめくくり、伝統産業と情報産業、生物産業を三位一体で発展させ、世界一流経済を実現しようと努力しています。

 21世紀は知識情報化時代として富が急速に成長する時代です。同時に情報化時代は富の偏差が進み、貧富格差が急激に拡大される時代でもあります。国内だけでなく、国家間の貧富格差も大きくなっていきます。これは人権と平和を脅かす、また一つの深刻な現象といわざるをえません。私たちは21世紀にも、引き続き人権弾圧と武力使用を積極的に反対しなければなりません。あわせて情報化からくる新しい現象、疎外階層と開発途上国の情報化格差を解消し、人権と平和を阻害する障害要因を除去しなければなりません。

 尊敬する国王陛下。

 そして紳士淑女の皆様!

 最後に、私個人に関するお話を少しだけいたします。私は独裁者らによって過去5回にもわたって死の狭間を体験しなければなりませんでした。6年の監獄生活をし、40年間、軟禁と亡命と監視の中で生きてきました。

 私がこのような試練を勝ち抜けたのは、我が国民と世界の民主人士の声援が大きな力になったいうことは既にのべました。同時に私の個人的な理由もあります。


■「正義は勝つ」を信念に闘争

 まず一つ目に、私は神がつねに私とともにいるという信頼の中で生活し、私はこれを実際に体験しました。

 1973年8月、東京で亡命生活をしていた当時、私は韓国軍事政府の情報機関によりら致されました。全世界がこの緊急ニュースに驚きました。韓国の情報機関員らは、私を日本海岸に停泊させていた彼らの工作船に連行し、全身を縛り、目と口を塞ぎました。そして私を海に投げ、溺れさせようとしました。その時、私の脳裏にイエス様が鮮明に現れました。私はイエス様に助けを求めました。まさにその瞬間、私を助ける飛行機が現れ、私を死の淵から助け出してくれました。

 また私は、歴史に対する信頼により、死にうち勝ってきました。80年、軍事政権によって死刑の言渡しを受け、監獄での六か月間、その執行を待つ間、私は死の恐怖に震える時が頻繁にありました。しかしこれを克服し、心の安らぎを得るには「正義は必ず勝つ」という歴史的事実に対する私の確信が、大きな支えとなりました。

 すべての国、すべての時代において、国民と世の中のために正しく生き、献身した人は、たとえ当代には成功できなく悲惨な最後を迎えても、歴史の中で必ず勝者になるということを、私は数多くの歴史的事実の中で見ました。しかし不義の勝者らはたとえ当代には成功をしても、後の歴史の峻厳な審判の中で、恥ずべき敗者になったというものを読むこともできました。そこには例外はありません。

 国王陛下、そして貴賓の皆様!

 ノーベル賞は栄光と同時に無限な責任の始まりであります。私は歴史上の偉大な勝者らが教え導き、アルフレッド・ノーベル卿が私たちに願う通り、残りの人生を捧げ韓国と世界の人権と平和、そして私たち民族の和解と協力のために努力することを誓います。

 皆様と世界の民主人士の声援と鞭撻を願うものであります。

 ありがとうございました。

(2000.12.13 民団新聞)



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