民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
大阪北鶴橋小の民族学級が50周年

2000人が巣立つ



■□
初代講師の金容海さん
孤軍奮闘、基礎づくり…同胞保護者に支えられ

 【大阪】大阪市立北鶴橋小学校(岡橋宏明校長、228人)に民族学級が開設されてから今年で満50周年を迎えた。16日の記念式典には同校で初代民族講師を務めた金容海さん(現民団中央本部民族教育委員会委員長)も出席、当時の保護者、PTA関係者らとともに感慨に浸っていた。

 北鶴橋小は生野区のほぼ真ん中に位置し、在籍する在日同胞子弟は118人と全校生徒の半数を超す。民族学級はこのうち3年生以上6年生までを対象にしており、いまは83人が学ぶ。

 民族学級は解放直後の混乱も一段落した1950年に開設された。当時、在日同胞は帰国に備えて全国各地に自主学校を建設するなど民族教育に力を入れていたが、当時のGHQ(連合軍総司令部)と日本政府はこれを認めようとせず、1948年1月に閉鎖命令を出した。

 反対闘争は全国的に広がり、特に大阪と神戸で熾烈を極めた。同胞側の粘り強い交渉の結果、大阪では府朝鮮人教育問題共同闘争委員会が赤間文三府知事との間で6月4日、覚書を交わした。この結果、民族学校が認可され、公立学校内でも課外という条件付きながら韓国語や歴史を教えることができるようになった。 覚書に基づき、府では在日同胞子弟が多数在籍する約33校の小・中学校を選び、36人の民族講師を送った。金容海さんも府教委に採用され、民族学級の開設とともに1951年に北鶴橋小に赴任した一人だ。当時、まだ23歳。

 公教育の場にささやかながら民族教育を保障する場が確保されたとはいえ、予算的な後ろ盾があったわけでない。教室を借りるにも周囲からの協力は得られなかった。学習する子どもの数は400人。しかたなく講堂の一部を借り、59歳で定年退職するまで同胞保護者に励まされながら孤軍奮闘を続けた。

 この間、他校ではさまざまな困難の中、やむなく民族講師の職を辞する例も見られた。しかし、府は後任の配置には消極的だった。いまいる民族講師の定年退職を待って、民族学級の自然消滅を待っているかのようだったという。

 金さんは在籍中から府教委と粘り強く交渉を重ね、民族学級の維持、拡大に奔走した。民族講師の不在から自然消滅状態だった泉大津市立戎小学校に新たな民族講師が着任したのも、金さんの働きかけがあったからこそだった。

 同様の例は、堺市の少林寺小、大阪市立の北中道小と同加美小などでも見られた。北鶴橋小でも、自ら定年退職して民族学級が空白にならないようにと、後任に金美優さんを推した。現在の民族講師、金徳美さんは初代の金さんから数えて5人目。この50年間に同校民族学級を巣立っていった在日同胞子弟は2000人を数える。

 同校での記念式典には保護者、民族講師、民団大阪府本部と大阪市教委の関係者ら100人余りが出席した。民団中央本部からも鄭夢周文教局長が駆けつけた。

(2000.12.21 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ