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本格化する韓日サッカーの新時代
(慎武宏・スポーツライター)

選手交流が活発化
プロからアマまで相互訪問



 近くて遠い国。

 韓国と日本の20世紀が語られるとき、かならず使われる常套句だが、サッカーにおいてはまったく当てはまらない。両国は政治でも経済でもトラップミスを繰り返してきたが、サッカーでは常に接近した関係にあった。

 その交流元年となったのは1926年。4月に『大阪サッカー倶楽部』が玄界灘を渡り、10月には『朝鮮蹴球団』が日本を訪問。その後は、学生、社会人とレベルを問わず、両国のチームが頻繁に玄界灘を行き来した。日本人選手に食事を招待された韓半島の選手がスキヤキにソースをかけてしまったり、モリソバの食べすぎで試合中に腹痛を起こしたなど、愉快なエピソードもいくつかある。

 ただ、当時は“韓国併合”という悲しき時代。事実、韓半島の選手が「日本代表」として、36年ベルリン五輪に出場した記録も残っている。

 そんな韓国と日本のサッカー交流が本格化したのは戦後から。

 ご存じの通り、54年スイスW杯予選、68年メキシコ五輪予選、85年メキシコW杯予選など、両国は常にライバルとして対峙してきた。日本を強烈に意識してきた韓国と、韓国を目標にしてきた日本。そんな両国だったからこそ、幾多の名勝負が生まれたのかもしれない。

 そして今、韓日サッカー交流は新たな局面を迎えている。

 2002年W杯共催。アジア初にして21世紀最初のW杯を史上初めて共催することになった韓国と日本のサッカー界は、世界のサッカーファンから託された最高のスポーツイベントを成功させるべく、急接近しているのだ。

 例えば代表チーム同士の交流である。昨年は9月にユース代表同士の親善試合が行なわれ、12月には20世紀最後の韓日対決があった。通算61回目のライバル対決は1―1のドローに終わった。両国の熱のこもったプレーに韓日サッカー新時代の到来を予感した人は多いと思う。

 かつてW杯や五輪などの国際大会への出場権を巡って、激しくしのぎを削り合ってきた韓国と日本は今、互いがいい意味で刺激し合い、切磋琢磨しているのだ。

 その代表チームの源となる、プロリーグの交流も盛んだ。

 今や韓国人選手たちの存在はJリーグには欠かせない。昨年は元京都パープルサンガの朴康造(城南一和)や元ヴェルディ川崎の尹台祚(蔚山現代・二軍監督)といった在日コリアンが、Jリーグ出身者として初めてKリーグに進出した。

 クラブ同士の交流も加速する一方で、昨年春には四つのKリーグクラブが日本で強化合宿を行い、夏には五つのJリーグクラブが韓国遠征を実施した。

 そして21世紀の幕開け早々の今年1月3日にはKリーグとJリーグの合同チームである「韓日オールスターズ」対「世界オールスターズ」のドリームマッチも開催される。

 こうしたプロリーグ同士の交流は2002年W杯のの成功はもちろん、極東アジア・サッカーの発展にもつながるだろう。

 あまり知られていないが、アマチュアレベルでのサッカー交流も盛んだ。

 日本のサッカー関係者の話によると、昨年夏に韓国遠征を実施したチーム数は38にのぼったという。韓国の高校サッカー部の日本遠征も盛んで、選手たちが日本の家庭にホームステイするなど、その交流はかつてないほど血の通ったものになっているのだ。

 しかし、もっとも接近しているのは韓国と日本の一般市民たちかもしれない。97年頃から始まったサポーター交流はもちろん、昨今は韓日の各開催都市の市民たちが自主的に友好を深めようと、草の根交流の動きが起きている。

 昨年12月の韓日戦の前夜には日本と韓国のサポーターに在日韓国人も加わった、フットサル大会もあった。

 サッカーを通じて、両国の人々が触れ合い、そこで理解と友情を深める。この事実は大変意義深い。

 なぜなら、韓国と日本の密接な交流から生まれたパートナーシップこそが、2002年W杯の開催を成功に導く決定打となりうるからだ。

 民族と国境を超えるスポーツとされるサッカー。そのサッカーの最高峰の大会であるW杯は、五輪をも凌ぐ地球最大規模のスポーツイベント。人類の祝祭だ。

 そのW杯の開催までついに1年半を切った今、両国のサッカー交流はさらに加速するだろう。

 新しい世紀、いよいよサッカー新時代の幕が上がるのだ。いや、サッカーをキッカケに韓日新時代が始まるのだ。

 21世紀は「近くて遠い関係」とは言わせない。

(2001.0101 民団新聞 新年特集号)



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