民団新聞 MINDAN
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「きょうからから権と呼んで」

新学期、日本籍3世が民族名宣言



新学期から民族名で
生きることを
宣言した権義文君

■21世紀、勇気持って生きたい

 【神奈川】1月の新学期を期して日本国籍を持つ在日同胞三世(14)=横須賀市立北下浦中学3年=がホームルーム席上、クラスメートを前に民族名で生きていくと決意表明した。いろんな人間、いろんな民族が互いに認めあい、輝いて生きられる社会になってほしいからと、あえて祖父につながる韓国人の血を明らかにした。3月には晴れて権義文の名前で卒業証書を受け取る。

 権義文君の祖父は韓国生まれの一世。第二次大戦中、日本人の祖母の家に婿入りしたため、サンフランシスコ講和条約締結後も日本戸籍がそのまま残った。父親の國祐さん(58)=内蒙古大学蒙古語文研究所共同研究員=も日本国籍だ。にもかかわらず、幼少時「朝鮮人」と罵声をあびせられ、石をぶつけられた屈辱を忘れられないでいる。

 「朝鮮人で何が悪い、こんちきしょうと思いながら生きてきた」という國祐さん。戸籍上は「永井」でも日常生活では権姓を名乗り、3人の子どもたちにも自らの民族性に正面から向き合うよう求めてきた。

 義文君の姉にあたる文栄さん(17)が中学に進学するときのこと。國祐さんはお祝いに小さな地球儀を買い与え、「国籍と民族は異なる定義。異なる民族が集まって一つの国をつくっている」と教え諭した。文栄さんは「永井」姓で中学生活を送ったが、高校入学と同時に権姓を名乗るようになった。

 長男の義文君が民族名を名乗ろうと決めたのは、小学生時代に内モンゴル自治区の首府、フフホト市内の蒙古族学校に3年間留学、多様な民族が共生している現実を目の当たりにしてきたことが大きいという。昨年末、中学校で卒業後の進路をめぐっての三者面談が行われた席上、國祐さんは民族名で生きていくとの義文君の決意を伝え、学校側の賛同を得た。


■父、民族名改姓のマニュアルづくりも

 義文君の担任、小野順子教諭も「勇気のいること。ひとまわり成長した姿で送り出したい」と全面的な協力を約束。9日、始業式を終えてのホームルームの時間を利用、義文君が民族名で生きるとの決意を側面から支えた。

 義文君は3年二組の班長として立候補宣言、所信表明という形で初めて自らの出自を明らかにした。「たまたまおじいちゃんの生まれたところが韓国だっただけ。いままで母方の姓である永井を使ってきたけれどこれからは権と呼んでほしい」。

 義文君はモンゴル語の通訳ができ、中国語も日常会話には困らないほど。いまは韓国語の習得にも励んでいる。こうした語学力を生かし、将来は国際的な視野に立った仕事に就き、活躍するのが夢。

 國祐さんは「民族名を名乗ることで現実には悩むでしょう。でも、いまの心構えがこれからの人生を決めるはず。これからは多文化共生社会の実現に向けて、地域社会に絶え間なくメッセージを発信していってほしい」と期待している。

 國裕さんは二男の裕文君(8)についても近く裕文君の通う小学校長と面談のうえ、「権の本名で生きたいがどうしたらいいか」を相談したいという。

(2001.01.17 民団新聞)



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