民団新聞 MINDAN
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被災と復興、光と影



 東京に出てきて、すでに20年の歳月が経つ。ご多分に漏れず、年末年始は実家に帰省する毎年だ。

 東京駅の新幹線ホームはこぼれんばかりの人、人。座席を確保するために出発の1時間も前からホームに並ばなくてはならない。

 新大阪を過ぎて新神戸に向かう間、少しの間だが神戸の街がかいま見える度に思い出すのは95年の阪神・淡路大震災だ。実家は神戸にある。

 死者6400余人、在日同胞の犠牲者も150人を超えた。未曾有の大惨事であった。震災直後、テレビの画面には想像を絶する光景が映し出された。多分日本全国の住民が驚いたことだろう。

 震災から6年。マスコミの報道からは震災の文字が少しずつ消えていくにつれ、復興の文字が徐々に増えていった。今年の震災追悼式には日本の首相は参列せず、報道も日本政府も徐々に感情移入を薄めつつある。

 神戸一の繁華街・三宮、港のシンボル・ハーバーランド、中華街など観光客が集まる所からは震災の爪痕は感じられない。だが…。

 神戸の人たちに「見事に復興しましたね」などとは絶対に言わない方がよい。白い目で見られること請け合いだ。最も被害が大きく、在日同胞が最も多く居住する長田区に住む先輩は「六間道(長田区の南部)見てみい。何にも無いで」。厳しい表情が復興にはほど遠いことを物語った。

 大型小売店の販売額など数字上のデータでは徐々に震災当時に戻りつつある。しかし同胞の地場産業ともいえるケミカルシューズ生産額は低迷したまま。復興住宅での孤独死も相次ぐ。

 少なくとも阪神大震災はまだ終わっていない。風化させてはいけないという思いだけでも広げていきたい。(L)

(2001.01.24 民団新聞)



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