民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<10>



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21世紀にふさわしい人材育成
(李明・京都韓国学園特進班英語科)

 革命と戦争に明け暮れた20世紀が終わり、21世紀が幕を開けた。われわれ韓国人にとっては、この100年は文字通り日本による植民地支配と、南北分断という悲運に見舞われた苦難の世紀であった。しかし、昨年6月の歴史的な「南北頂上会談」を契機として、民族の悲願である「南北統一」へ向けて歴史は大きな一歩を踏み出した。

 ここで過去を顧みて、21世紀に同じ過ちを繰り返さないために、われわれ韓国人、特に在日韓国人はどうあるべきか、京都韓国学園で2年前から在日同胞子弟を教えている立場から、私見を述べてみたい。

 私自身は解放後満1年経った1946年8月に生まれ、比較的恵まれた環境のもとで、何の疑問も持たず、日本の激烈な「受験地獄」に身を置いてきた。父から強烈な民族意識を植えつけられ、在日の置かれた厳しい条件のもとでは、日本人の何倍も勉強しなければならないという自覚を持って、わが身を律してきた。

 半万年の悠久の歴史を有する「東方礼儀の国」が、「倭奴」と蔑視してきた日本の植民地に転落したのはなぜなのか。私は、まず第一に教育の貧困をあげたい。19世紀の半ば過ぎから西欧列強の侵略の脅威に直面して、孔・孟の教えのみを遵奉して、近代文明の受容に遅れたことが、韓日両国の運命を分けたのである。

 21世紀は、IT(情報技術)の世紀である。2000年度の米大統領の年頭教書で使われた「デジタル・ディバイド」=IT習熟度の差は、今後の世界各国の国運を決めるものである。好むと好まざるとに関わらずに、英語、とりわけ米語の国際語としての重要性は高まる一方である。日々追加される新語に対応するのも英語教師の務めであり、安閑としてはいられない。

 わが国の周辺を見回すと、19世紀は、清・米・露・日の四大国が交互に干渉を加えたが、100年後の今日も状況はあまり変わっていない。いつまでも同族がいがみ合いを続けていると、大国の侮りを受け、かたちを変えた隷属状態に陥る危険性があり、民族教育の必要性が求められるゆえんである。

 現在私の置かれた立場を考えると、わが学園の生徒を一人でも多く、日本の難関大学に送り込むことである。しかし、今とは全く時代が違う自分の経験や知識をやみくもに押しつけることは、厳に慎まなければならない。「知ることと、教えることは別だ」というのは至言であり、日々このことを痛感している。

 中国・秦末に乱を起こした陳勝の有名な言葉に、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とあるが、大鵬のような大きな心を持って、功を焦らず、生徒個々人に愛情を持って接していけば必ず道は開けるものと確信しているし、わが民族教育の所期の成果は達成されよう。

 私の担当教科である英語に関しては、日本全国どこの受験進学校の指導も及ばぬハイレベルな知識が身につくよう微力を尽くすことを誓い、21世紀にふさわしい有為な人材をわが学園から多数輩出させたいと願うものである。

(2001.01.24 民団新聞)



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