民団新聞 MINDAN
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WBC・SW級チャンピオンに挑む
慎ヨン旭さん



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タイトル奪取へ勝利宣言
キムチパワーで頑張る
2月16日にスペインでタイトルマッチ

 WBCスーパーウェルター級世界ランキング第九位の在日同胞プロボクサー・愼ヨン(金編に庸)旭(リングネーム・大東旭)選手が来月16日、スペインのマドリードで同級世界チャンピオンのハビエル・カスティチェホ選手に挑戦することが決まった。日本チャンピオンになってすでに10回の防衛を果たし、日本では敵無し。練習に余念がない愼選手が通う大鵬ジム(洪健文会長・大阪市平野区)を訪ね、世界タイトル奪取にかける意気込みを聞いた。

 最後調整の段階に入った現在、疲れを明日に残さないためか、練習時間は意外に少ない。朝のロードワークが1時間半、そして夕方には2時間程度のスパーリング、サンドバック、柔軟と続く。実践練習のスパーリングは、ヘッドギアを付け、ダメージが少ない大きめのグローブをしているとはいえ、まさに手加減なしの迫力だ。ヘッドギアの下から相手の動きを見る目が鋭く光る。ジムを訪ねた日も、同級日本第四位の至田鋭次選手を相手に六ラウンドのスパーリングをこなした。

 激しい練習、減量。そんなにしんどい思いをしてまで、なぜ?という質問に「必ず世界チャンピオンになるんです。子どもの頃からの夢を実現させ、ビッグマネーを稼ぐんです」と力強い返事が返ってきた。ボクサーに必須だといわれるハングリー精神をかいま見せる。


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 1970年、4人兄弟の次男として大阪で生まれた。小学生の頃、テレビで見たボクサーにあこがれ、高校入学と同時に大鵬ジムの門をたたいた。本名と通名のはざまで友だちからいじめられたり、また経済的にも楽でなかったことなどから、常に「今に見てろ」という思いを胸に秘めて日本チャンピオンにまで登りつめた。

 プロデビューは1988年。これまでの成績は41戦32勝7敗2引き分け(21KO)。99年に韓国の宋国烈選手にKO勝ちし、世界ランキング入りした。

 日本チャンピオン、と一言で言うものの、4回も日本王座獲得戦に破れ、5回目の挑戦でやっとチャンプになるなど、そこに至るまでは想像を絶する道のりがあった。やっとの思いでタイトルをとりながらも、初の防衛戦で無念にも敗れた。なにくそ、という思いから、敗れた選手に再度挑み、一度手放したタイトルを奪い返した。

 日本チャンピオン10回の防衛。「でも日本チャンピオンは私にとって通過点でしかありません。やはり世界チャンピオンにならなければ」とあくまでも世界を見据えて熱く語る。


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 同ジムの鎌田開義マネージャーによると、今回マドリードの闘牛場で開かれる世界タイトル戦が実現したのは、元日本チャンピオンでもある同ジムの洪会長の粘り強い交渉があったからだという。去年のメキシコ、その前のモスクワWBC総会に参加し、WBCのホセスライアン会長やプロモーターに「確かに世界では無名だが、日本では敵はいない。実力も充分そなわっている。そちらの条件をのむから是非とも挑戦させてほしい」と幾度となくアピールし続けた結果だ。

 2年越しの努力が実り、昨年末に試合日程が決まったという。まさに映画「ロッキー」の名場面を彷彿させる話だ。


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 挑戦者の一方的な要請だったために、ファイトマネーは無いが、世界に挑む、という夢を実現するチャンスは手にした。あとは結果を残すだけだ。

 バランスのとれた、テクニシャンと言われる世界チャンピオンに対し、試合のビデオを何度も見ながら研究を怠らない。

 試合間近かになって、もう一つの敵「減量」の辛さと戦いながらも、「必ず勝ちます」と勇気を持って勝利宣言。「韓国人魂を胸に、キムチパワーがありますから。在日同胞の皆さん、応援してください」と拳に力を込めた。

(2001.01.31 民団新聞)



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