マルセ太郎さんが亡くなった。
残念ながら、私は直接会ったことがなく、彼の名前を明確に意識したのも、せいぜいここ七、八年程度のことで、冗談にも「ずっと注目してきた」と言える立場にはない。映像や活字を通しての姿しか知らないが、常に苦悩しているような顔立ちと鋭い視線から強烈な印象を受けたものだ。
最初に見たマルセさんの芸は、後ろ向きに椅子に飛び乗って客席を振り向く猿のまねだった。猿のまねをする芸人は多いが、彼以上にリアリティを感じさせてくれるものはない。それは、微妙な体の動きや表情もさることながら、観客に投げ掛けられた視線から、哀しげだが、生命の力強さのようなものが伝わってきたからではないかと思う。
もっとも、マルセさんの真骨頂は、やはり、一本の映画を彼ならではの批評を交じえつつ、一人で再現する「スクリーンのない映画館」だろう。
中でも感銘を受けたのは「泥の河」だ。小栗康平監督の名作を、マルセさん流に演じ、これまた名作に仕立て上げた。
何よりも、彼自身の少年時代をだぶらせるのか、貧しい少年たちの友情や喜び、悲しみを語る生き生きとした表情や目の輝きが印象的だった。
生死や老いについて語る作品の多いマルセさんは、ガンの再発に悩まされ、九七年には「長くて三年の寿命」と覚悟していたという。彼の著書では、死への不安を感じつつも「人生が芝居なら、下ろされる幕を、しっかりと見つめたい」と語っている。
その彼の在日としての人生と芸の集大成とされるのが喜劇「イカイノ物語」。
一年半ぐらい前だったか、東京公演の際、見に行くつもりだったのが、仕事の都合で急に取り止めてしまった。闘病生活のことは、勿論知らなかった。強烈な個性を発揮した異能の芸人の原点と、在日をめぐる今日的な問題が凝縮された作品に接する機会を失い、残念としか言いようがない。
(2001.01.31 民団新聞)
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