民団新聞 MINDAN
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心の不自由な人たち



 ハンデキャップを持つ人の日常を健常者に理解させようというプログラムがある。

 たとえば、足の不自由な人の外出が、どれ程の決意と労力を要する行為であるかを、実際に車椅子に乗って体験してもらおうとするものだ。

 そうすると、普段何でもない窪みのある歩道を進むのに苦労するし、駅前の自転車が通行を考えずに放置されていることに気付かされる。

 専用トイレの場所と数には限りがあり、油断していると真っ青な顔で冷や汗を堪える事態に陥ってしまう。

 バスに乗ろうと助けを求めると、知らんふりをして通り過ぎる背広姿に溜息が出る半面、黙々と車輪を持ち上げてくれる茶髪にピアスの若いカップルに涙腺がゆるむ。

 参加して痛感したのは、世の中の大部分が、ある側の人たちに対してのみ開かれているという厳しい現実である。

 それは、味噌、醤油を貸し借りする自然な近所付き合いをし、人の嫌がる草刈り当番や町内会の役員を担うことを通じて、地域の一員としての責務を負う努力を半世紀以上続けて来ても、国籍の違いを理由に権利を与えまいとして躍起となっている人たちの思想と共通する、近視眼的で排他的なからくりである。

 彼らこそ、このプログラムに倣って外登証を携帯させ、外国人に成り切る1日を過ごさせるべき「心の不自由な人たち」と言えないだろうか。

 金や朴の名で、就職・教育・民生相談に行かせれば、外国人がどれだけのハンデを持ち、差別と偏見の中で暮らしているかをしっかりと認識してもらえるだろう。

 もっとも人間性やボランティア経験の有無に関係なく、地盤・看板・鞄で「驕る政治屋」が選ばれる土壌の国だから、過度な期待をする方が無理なのかも知れないが。(S)

(2001.02.14 民団新聞)



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