民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<20>



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民族学校の必要性
金博之(金剛学園高・数学課担当)

 金剛学園を始めとする各民族学校では、韓国人としての主体的な生き方を育成するために、一般教科のほかに韓国語・韓国史を学んで、民族教育を実践している。しかしながら、在日韓国人学父兄の80%以上が、子弟を日本の学校に通わせている。

 その理由を要約すれば、次の通りである。

 (1)保護者たちが2・3世の世代になり、自分達も日本語しか理解できないため、韓国に帰る意思もなく、従って子弟に韓国語を学ばせる必要がない。

 (2)子弟が日本で生きていくために、日本の一流企業に就職させたい。又は医師などの特別な技術や資格を必要とする職業に就かせた。そのためには、日本の一流大学に通わせる必要があるが、その大学の受験科目に関係のない民族教科を学ばせる必要がない。

 すなわち韓国語や韓国史を勉強させても、日本の社会で生きていく以上、それが何の役に立つか、そんなことを勉強させる時間があるなら、英語や数学を勉強させた方が為になると多くの学父兄は考えている。

 内面的、精神的豊かさを求めようとする民族学校側と、日本社会で生きていくうえでの実利性を求めようとする在日父兄との意識の差異を見ることができる。韓国人が日本で生きていくうえで民族教育は本当に必要としないのだろうか。

 在日の学父兄がひとつ重要な事実を見落としているとするならば、それは、日本の教育機関は日本人子弟を対象として、日本人を育成するための教育を実施しているという現実である。すなわち国語は日本語を、国史は日本史を当然指すもの、として教育している。本来韓国語や韓国史を母国の言葉や歴史として学習しなければならない在日の子弟が、日本語や日本史を、それがさも国語や国史であるかのように受け入れながら学習している。

 現在の日本の学校では、在日韓国人がどんなに熱心に勉強しても、韓国人としての民族的素養を身につけることができない。すなわち、母国の言語も歴史も文化も全くわからない国籍だけの韓国人が生産される。

 これでどうして韓国人としての誇りや、民族的意識を持つことができるだろうか。そしてここで最も重要なことは、日本の教育機関から、どのような韓国観が育つかということである。

 現在はかなり改善されているが、少なくとも1980年代までの日本の教育やマスコミは、韓国や韓国の文化に対して正しい認識を持っていなかった。それどころか、韓国人に対する差別や偏見を助長した風潮さえあった。何の予備知識がない在日の子弟は民族教科を学ぶ機会が与えられなかったために、歪んだ韓国のイメージを、無意識的に受け入れるしかなかった。

 その結果、多くの子弟が韓国人であることを恥じ、劣等感を抱いたまま生きるしかなかった。現在の在日父兄の大部分がこのような経験をしていたはずである。これが、幸せな生き方と言えるだろうか。彼らが早くから正しい民族教育を受けさえしていたならば、経験せずにすんだ不幸な体験なのである。

 韓国人は韓国人として、豊かな感性を持ち、主体的に生きていけるように育てなければならないが、そのような教育は日本の教育機関からは得られないということを、在日の父兄は認識する必要がある。

 日本の社会に対応できる実利的教育を身につけることも重要であるが、それは韓国人としての、精神的豊かさを備えてこそ、意味のある教育となるのである。そのためにも、民族教育は在日韓国人子弟にとって絶対に必要なのだ。

(2001.02.28 民団新聞)



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