「いつも同じネクタイは」
北朝鮮から亡命した成恵琅さんの訳書『北朝鮮はるかなり』がいまごろは日本の書店に並んでいることと思います。
この翻訳の打ちあわせのため2度ヨーロッパにとびました。2度目は昨年の晩秋。枯葉の舞う街の、とある喫茶店でした。
「離散家族の悲しみ、苦しみがどれほど濃度のこいものか、ぜひわかってください」
長いインタビューのあとで、成さんのことばでした。
共産主義にあこがれて北朝鮮にわたった成さんの両親は、南朝鮮出身者にたいする差別と迫害の中で死に、金正日の前妻だった妹は心を病んで、いまも北にとどまっています。
亡命した息子は韓国に行って何者かに殺されました。成さんは事情があっていま韓国には行けない状態です。息子の住所をパソコンでやっと探り当てます。そこは墓地でした。成さんは書いています。
「イルナミよ。もう少し待っていておくれ。お母さんはあなたを訪ねていって、あなたの家にマツバボタンの種をいっぱい撒いてあげるからね」
もう一人の離散家族は、黄長ヨウ氏です。50年の伴侶だった夫人、4人の子供、2人の孫。全員が強制収容所に送られました。
3歳の孫娘チヒョニについて黄さんは回顧録『金正日への宣戦布告』の中で書いています。
「ああ、生きてふたたびあの子に会えるのだろうか」
黄さんにも翻訳の仕事で8回ほどお会いしました。いつも同じネクタイです。紺地に赤い筋が何本か入ったもの。夫人のプレゼントだそうです。その夫人も強制収容所で自殺したとの噂が流れています。いつも淡々と、内面を見せることのない黄さんの心の奥がうかがえて、見るたびに胸が痛くなります。
朝鮮戦争で1000万、帰国事業で双方に20万、90年代の食糧難民が数十万。この離散家族の苦しみを解決することは、世界の緊急問題です。
(ワシントンで)
(2001.02.28 民団新聞)
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