■□
兄弟姉妹のような仲間意識
廉 満(金剛学園中高・数学科教師)
先日、わが校で中・高共同の体験入学会が開催された。
韓国語の体験授業、インターネットを活用した進学就職適正調査を行い、昼食後には内部進学希望者、新入学希望者を交えた懇親スポーツ大会が行われた。
参加者数自体はそれほど多くなかったのだが、わが校では今回初めての試みでもあり、いくつかの細かい失敗はあったものの、催しは成功裏のうちに終えることができた。来年度にもつながる成果を出すことができたと思う。
その折の話である。
高校体験入学者の中には外部からの志望者もいる。当然、誰も知り合いがいない。特に話し相手もなく、静かに体験入学の行程をこなしていた。
そして、催し最後のプログラム。生徒と教員による親善キックベースボール大会が始まった。
「お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん!」
中学の内部進学志望者、つまり我が校の小学六年生達は試合の間ずっと、彼をそう呼んでいた。
相手は、その日初めて会った中学三年生である。
それでも、子ども達にとっては「お兄ちゃん」なのだ。
普通なら、親しく呼びかけることはないだろう。もし呼ばなければならない用事があるとしても「○○さん」あるいは「先輩」と呼ぶだろう。
それが「お兄ちゃん」である。こんな学校があるだろうか。
無論、ほかの中学三年生達もそれをおかしいとは感じていない。笑っている者もいるが、それは心ない揶揄ではなく、「お兄ちゃん」と呼ばれて戸惑う彼を見てのことだ。
見ず知らずの相手でも、目上であれば「お兄ちゃん・お姉ちゃん」と呼ぶ。目下には「お兄ちゃん・お姉ちゃん」と呼ばれる。
そこでよくよく考えてみれば、わが校では「先輩後輩」という言い方はほとんど聞かれない。
「先輩・後輩」ではなく「お兄ちゃん・お姉ちゃん・弟・妹」。
「けじめがない」と眉をひそめる向きもあるかも知れない。しかし、スクールバスに乗ってみればわかる。
幼稚園児の世話をしているのは小学生低学年の児童たちだ。そして低学年に注意を向けているのは高学年の児童たち。その様子に均等に目を配る添乗の先生。
これは決して強制ではない。「年上の者は年下の面倒を見るべきだ」という教育の結果でもない。
誰に命じられたわけでもなく、自然にこうなっているのだ。兄姉が小さな弟妹の面倒を見る。弟妹たちは、やがて兄姉になる。
そこには新しく小さな弟妹が。文字通り兄弟同然の子ども達のあたたかい関係が続いていく。
小規模校ゆえの、いい風景だと思うのである。
(2001.03.07 民団新聞)
|