民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<23>



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兄弟姉妹のような仲間意識
廉 満(金剛学園中高・数学科教師)

 先日、わが校で中・高共同の体験入学会が開催された。

 韓国語の体験授業、インターネットを活用した進学就職適正調査を行い、昼食後には内部進学希望者、新入学希望者を交えた懇親スポーツ大会が行われた。

 参加者数自体はそれほど多くなかったのだが、わが校では今回初めての試みでもあり、いくつかの細かい失敗はあったものの、催しは成功裏のうちに終えることができた。来年度にもつながる成果を出すことができたと思う。

 その折の話である。

 高校体験入学者の中には外部からの志望者もいる。当然、誰も知り合いがいない。特に話し相手もなく、静かに体験入学の行程をこなしていた。

 そして、催し最後のプログラム。生徒と教員による親善キックベースボール大会が始まった。

「お兄ちゃん!」

「お兄ちゃん!」

 中学の内部進学志望者、つまり我が校の小学六年生達は試合の間ずっと、彼をそう呼んでいた。

 相手は、その日初めて会った中学三年生である。

 それでも、子ども達にとっては「お兄ちゃん」なのだ。

 普通なら、親しく呼びかけることはないだろう。もし呼ばなければならない用事があるとしても「○○さん」あるいは「先輩」と呼ぶだろう。

 それが「お兄ちゃん」である。こんな学校があるだろうか。

 無論、ほかの中学三年生達もそれをおかしいとは感じていない。笑っている者もいるが、それは心ない揶揄ではなく、「お兄ちゃん」と呼ばれて戸惑う彼を見てのことだ。

 見ず知らずの相手でも、目上であれば「お兄ちゃん・お姉ちゃん」と呼ぶ。目下には「お兄ちゃん・お姉ちゃん」と呼ばれる。

 そこでよくよく考えてみれば、わが校では「先輩後輩」という言い方はほとんど聞かれない。

 「先輩・後輩」ではなく「お兄ちゃん・お姉ちゃん・弟・妹」。

 「けじめがない」と眉をひそめる向きもあるかも知れない。しかし、スクールバスに乗ってみればわかる。

 幼稚園児の世話をしているのは小学生低学年の児童たちだ。そして低学年に注意を向けているのは高学年の児童たち。その様子に均等に目を配る添乗の先生。

 これは決して強制ではない。「年上の者は年下の面倒を見るべきだ」という教育の結果でもない。

 誰に命じられたわけでもなく、自然にこうなっているのだ。兄姉が小さな弟妹の面倒を見る。弟妹たちは、やがて兄姉になる。

 そこには新しく小さな弟妹が。文字通り兄弟同然の子ども達のあたたかい関係が続いていく。

 小規模校ゆえの、いい風景だと思うのである。

(2001.03.07 民団新聞)



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