「どこか外国で勉強してきてもいいんだぞ」
10年前、この父の言葉をきっかけにソウルに1年滞在し韓国語を学んだ。大多数が選ぶアメリカはイヤだったし、統一直前のドイツには「乗り遅れ感」があった。父の書棚には韓国・朝鮮関連の本が多く、実際に二度、旅行に連れていかれた。ソウルに決めたのは自然な選択だった…と思っていた。
先日、電話で父と当時の話をした。
「お前にはイギリスに行ってもらいたかったんだ」初めて聞く話だ。父は続けて「英国は各地で植民地をつくったが余り憎まれず、時に敬意すら払われる。日本との差を考えて欲しいと思ってな」と言う。
父はそれとなく英国行きを勧めたが息子は中国行きを希望。父は天安門事件直後で政情不安定の中国を諦めさせ、結果、韓国で落ち着いたという。
自分で選んだと思い込んでいた私は驚いたが、経験不足の19才の学生なんて、その程度のものなのかも知れない。
英国のことは本でしか分からないまま、私は今、日本が憎まれている国で働いている。
現在、中国政府は「新しい歴史教科書を作る会」の教科書やマンガ「台湾論」を問題視し批判を繰り返しているが、私はこれを報道する気になれずにいる。どちらの問題も日本では極一部の者によるものだし、取り上げること自体が彼らの宣伝になるような気がするからだ。
学年末に「時間切れ」の形で近現代史が教えられず、また入試問題にも出ないせいで、若年層に韓国や台湾の統治すら知らない者が日本には多いではないか。中国としてもこちらを指摘し続けるほうが良いと思うのだが。
戦中史に絡むニュースを作る時には、視聴者にさりげなく「知り考える機会」を提供し、決して「説教くさい」と思われてはならない。父は19才の私をどのように促したのか、尋ねようと思ったが止めた。視聴者は当時の私ほど愚かではないことに気付いたからだ。
(2001.03.14 民団新聞)
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