民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<26>



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農楽体得で充実した学校生活
李正市(建国小教師)

 「先生、僕は日本で生まれ育ったせいか、ふだん自分が韓国人という意識を持ってません。でも、音楽の時間に、発音もよくできず歌詞の意味もよく分からないけど、伝統のリズムをたたいて民謡をうたう時は、なぜか胸にせまる感じがするんです。自分もたしかに韓国人だという気がします。時代が変わって、僕らの父母の世代とはずいぶんちがってしまったけど、僕は日本の地でも韓国人のアイデンティティを持って堂々と生きたいんです」

 これは、新民謡「蔚山アガシ」を勉強したあと、ある同胞三世の生徒が私に語ってくれた話です。

 3年前、私は在日同胞三世の生徒たちに音楽を通して我が民族を理解させ、ひいては韓国人としての自負心を持って生きていけるよう、民族教育をするためにここ建国学校に赴任した。だが、事情はちがっていた。いちばん初めにぶつかった問題は、「言葉」だった。

 授業時間にウリマルが通じなかった。彼らはまちがいなく同胞生徒だ、自分とおなじ韓国の情緒を持っているにちがいない、そう思っていたのだが、それも錯覚だった。生徒たちは日本人でも韓国人でもなかった。文字どおり「在日韓国人」という特殊文化を持って生きる、「韓国籍日本人」だった。

 問題はそれだけではなかった。韓国語で授業をするとまったく聞き取れない生徒がいるかと思えば、反対に日本語で授業をするとまったく分からない生徒もいた。そうした生徒をひとつの教室に座らせて授業をする特殊な学校だという事実など考えもせずに、ここに来たのである。

 全体の80%以上を占める在日同胞三世の生徒たちと小数の日本人生徒たちは、韓国の文化を皮膚で感じることのない生徒が大部分である。

 そうしたある日、民謡のリズムを教えている時に、大部分の同胞生徒たちがまったくダメなものと思っていたにもかかわらず、日本の生徒よりもたやすくリズムをとった。「やっぱり君たちは我が民族なんだなあ」という希望の光が頭をかすめた。

 3年が過ぎた今は、言葉のカベを乗り越え、音楽を通して私たちは韓民族を共感している。そして、年に一度の我が校の祝典である『建国祭』を通して、1年間に学んだ我が国の音楽を学父母たちの前で発表している。卒業式の時にも、校門を出ていく先輩たちに、童謡「故郷の春」を演奏している。

 民族学校である白頭学院の「建国人」であることを忘れまいと、無言の約束でもかわすかのように。思えば音楽は信仰に似ている。音楽は、ひとつの集団共同体を結びつける帯のようなものなのです。

 私は我が建国の卒業生たちが、どこに暮らそうと韓国人であることを忘れずに自信を持って生きていけるよう、今日も最善を尽くそうと思う。そして、我が「建国人」たちが、在日韓国人の特性を生かし、韓日友好のさらなる発展のためにしっかりとした架け橋になってほしいと思う。

(2001.03.28 民団新聞)



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